昭和の「夜行鈍行」を復活させるべき3つの理由! CO2排出量「バスの3分の1」でエコ、現代版「山陰」「からまつ」の可能性とは【連載】夜行列車現実論(6)
夜行列車の復活を巡る議論が再燃している。環境意識の高まりや多様な移動ニーズに対応する手段として、今再評価されつつある夜行列車の経済的・社会的側面を探る。本シリーズでは、夜行列車が現代においてどのように再活性化できるか、その実現可能性を検証する。
長距離移動の新たな選択肢
夜行列車は、かつて多くの人に利用されていた移動手段だ。寝台車を使った快適な移動や、昼間の時間を有効に使える利点があるものの、新幹線や高速バス、格安航空の普及でその存在感が薄れてきた。
本連載「夜行列車現実論」では、感傷やノスタルジーを排して、経済的な合理性や社会的課題をもとに夜行列車の可能性を考える。収益性や効率化を復活のカギとして探り、未来のモビリティの選択肢として夜行列車がどう再び輝けるかを考えていく。
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昭和時代には、長距離の「夜行鈍行列車」が運行されていた。その代表的な例として、山陰本線の夜行鈍行「山陰」がある。
この列車は、京都~出雲市間の386.2kmを結び、1980(昭和55)年頃の編成では、普通列車でありながら、
・郵便/荷物車2両
・B寝台車1両
・ボックスシートの普通座席客車6両
という構成で運行されていた。懐かしのDD51型ディーゼル機関車がけん引していた。
同様の列車には、北海道の小樽~釧路間の428.7kmを結ぶ「からまつ」もあり、編成は
・郵便/荷物車3両
・B寝台車1両
・ボックスシートの普通座席客車5両
で組成されていた。これらの列車は、夜行での長距離移動に加え、走行する地域によって、
・最終列車
・始発列車
・通勤通学列車
・ローカル列車
など、さまざまな性格を持たせることができた。また、沿線エリアへの郵便荷物輸送も担っており、非常に魅力的だった。
夜行鈍行列車は、長引く不景気のなかで、旅行や仕事での移動、深夜勤務者にとって経済的な移動手段である。需要の減少や車両の老朽化により、次第に廃れていったが、今回は温故知新の視点から、現代における夜行鈍行列車の可能性について考えてみたい。