なぜ電車の網棚から「新聞・雑誌」が消えたのか? 懐かしき90年代の光景、スマホと共に失われた“無言のつながり”とは
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かつて電車の網棚に並んだ雑誌や新聞は、情報の無言の受け渡しの象徴だった。しかし、スマートフォンの普及とともにその文化は消え、情報共有の形はデジタルへと移行した。技術革新がもたらした変化を探り、今後の社会で求められる新しい情報共有のあり方を考える。
スマホ時代の情報消費変化

しかし、その風景が次第に消え始めたのは、技術革新とともにスマートフォンが普及し始めた頃だった。電車内で新聞や雑誌を読む人が減り、その代わりにスマートフォンを手にした乗客が増えていった。情報源がデジタルに変わり、物理的なメディアへの依存度が低下したのだ。
この変化は、単なる物理的なメディアの消失にとどまらなかった。人々の生活がますますデジタル化し、情報の消費スタイルが大きく変わった。SNSやニュースアプリ、ウェブ記事などを通じて、どこでも瞬時に情報を得ることができる時代になった。それに伴い、電車内で雑誌を置いていくことが、どこか時代遅れに感じられるようになり、その傾向が人々の行動に反映された。
1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件も関係している。事件後、公共の場での安全への懸念が高まり、ゴミ箱の撤去や監視の強化が進んだ。かつて網棚に雑誌を置く文化も、次第に警戒心から遠ざけられ、「不必要な物を放置しない」という新たなルールが広がっていった。
一方で、新聞や雑誌が減るなかで、それに代わるものとして登場したのはデジタルコンテンツだった。スマートフォンの普及によって、物理的なメディアが置かれていた空間はスマートフォンという無言のメディアに取って代わり、物理的な情報の受け渡しは次第に失われていった。乗客は画面に没頭し、互いに情報をシェアすることは減り、孤立した時間が増えていった。