なぜ電車の網棚から「新聞・雑誌」が消えたのか? 懐かしき90年代の光景、スマホと共に失われた“無言のつながり”とは
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かつて電車の網棚に並んだ雑誌や新聞は、情報の無言の受け渡しの象徴だった。しかし、スマートフォンの普及とともにその文化は消え、情報共有の形はデジタルへと移行した。技術革新がもたらした変化を探り、今後の社会で求められる新しい情報共有のあり方を考える。
昔の習慣、時代の変遷
電車の網棚には、今では見かけなくなった光景がかつて広がっていた。
毎日のように車内に積まれた新聞や雑誌。それは、無言のうちに読まれ、次の乗客へと渡されていく「情報の受け渡し」のような瞬間だった。今となっては、あの時代の記憶はどこか遠いものになり、駅や車両内の光景も大きく変わった。かつての習慣が失われた背景には、技術革新や社会的な変化、そして人々の意識の変化があった。
1990年代中盤、日本は新聞や雑誌が全盛を誇った時代だった。特に都市部の電車内では、網棚に新聞や夕刊、週刊誌が並んでいるのをよく見かけた。これらの本や雑誌は、単なる情報源としての役割を超え、どこか社交的な性格を持っていた。読み終えた人が網棚にポンと置いていく、いわば次の乗客への
「おすそ分け」
のような行為が当たり前だった。
当時、この行為は
・読んだら置いて行く
・次の人が読んでいい
といった、文字通りの「共有」だった。たとえ誰かがその雑誌を読んでも、冷たい視線を浴びることはなかった。むしろ、それが一種のマナーとして、社会的な共感を生んでいた。このような小さな善意の連鎖が、都市という環境の中で人々をほんの少し温かく結びつけていた。