JAL「リゾッチャ」の興隆と崩壊――「ボロッチャ」揶揄も、JALの歴史を語る上で欠かせないワケ
1994年に就航したJAL「リゾッチャ」は、20代海外旅行ピークを牽引した一方、不採算路線や老朽機材で14年で終了。2010年のJAL破綻にも影響を与えた象徴的キャンペーンだ。成功と失敗の両面から、いま低迷する海外旅行需要への示唆を残している。
バブル崩壊後に直面した限界
リゾッチャの時代は、バブル崩壊後の不況が深刻化していた1990年代だった。海外旅行にかける余裕は失われ、地方発ハワイ路線を中心に需要は低迷。路線は次第に縮小していった。
JALウェイズはLCCに近い存在とされたが、サービス水準はJALと同等だった。ファーストクラスやビジネスクラスまで備え、低コスト航空会社とはいえない構造だった。
特に問題となったのは機材だ。主力のボーイング747は新鋭の400型ではなく、200型や300型といった一世代前の型だった。もうひとつの主力ダグラスDC-10も、導入から20年近く経過していた。
これらの機材は、ボーイング747-400やボーイング777に比べて燃費効率が悪い。さらに運航には機長・副機長に加え機関士も必要で、人件費も膨らんだ。客室乗務員に外国人を採用しても収益性向上にはつながらなかった。
老朽化した機材が使われていることは当時から広く知られており、
「ボロッチャ」
とやゆする利用者もいた。こうした高コスト体質は、日本航空グループ全体を苦しめる要因となった。