JAL「リゾッチャ」の興隆と崩壊――「ボロッチャ」揶揄も、JALの歴史を語る上で欠かせないワケ

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1994年に就航したJAL「リゾッチャ」は、20代海外旅行ピークを牽引した一方、不採算路線や老朽機材で14年で終了。2010年のJAL破綻にも影響を与えた象徴的キャンペーンだ。成功と失敗の両面から、いま低迷する海外旅行需要への示唆を残している。

LCC先取りしたJAL系リゾート航空

 リゾッチャ・キャンペーンの前後には、塗装やサービスだけでなく、専用機材を運航する航空会社も登場した。1991(平成3)年にはジャパンエアチャーター(JAZ)が誕生し、チャーター便を担った。ダグラスDC-10を用いて福岡~ホノルル線などを運航した。

 しかしチャーター便の需要は伸びず、JALのリゾート路線を受託することが中心になった。1999年にはJAZが改名される形でJALウェイズが誕生。こちらは受託運航に加え、ホノルル、グアム、サイパン、バンコク、バリ、シドニーなどへの定期路線も展開した。

 機材はDC-10に加え、超大型機ボーイング747を導入。客室乗務員には当時人件費の安かったタイ人を採用し、コストを抑えていた。このタイ人乗務員の接客は高く評価され、リゾッチャ人気を下支えする要因となった。

 今でいえば格安航空会社(LCC)に近い性格を持っていたといえる。ただし機内食などは無償提供されていたため、韓国のエアプレミアのようなハイブリッド型エアラインに近い存在だったともいえる。

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