JAL「リゾッチャ」の興隆と崩壊――「ボロッチャ」揶揄も、JALの歴史を語る上で欠かせないワケ
1994年に就航したJAL「リゾッチャ」は、20代海外旅行ピークを牽引した一方、不採算路線や老朽機材で14年で終了。2010年のJAL破綻にも影響を与えた象徴的キャンペーンだ。成功と失敗の両面から、いま低迷する海外旅行需要への示唆を残している。
顧客体験を先取りしたリゾッチャ施策
リゾッチャは1994(平成6)年6月4日、ハワイ・ホノルル線に就航した「スーパーリゾート・エクスプレス」から始まった。その後、グアム、サイパン、バリへと路線を拡大し、国内では沖縄(那覇)にも投入された。
機体には黄色やピンクのハイビスカス、紫や白のプルメリア、鮮やかな鳥が描かれた。南国を思わせるデザインは、当時の航空ファンの注目を集めた。だがリゾッチャは塗装だけにとどまらなかった。機内ではビンゴ大会が開かれ、食事や免税品も専用メニューを導入した。客室乗務員は花柄のブラウスを着用し、搭乗からリゾート気分を高める仕掛けが随所に盛り込まれた。
宣伝も徹底していた。キャンペーンキャラクター「リゾッチャ王国国王・太平洋ちゃん」は、タモリ倶楽部で知られるイラストレーター安斎肇がデザイン。さらに「ミス・リゾッチャ」と題したキャンペーンガールまで登場した。
取り組みは機内にとどまらず、バリ路線では現地で使えるクーポンを配布。旅行先での体験まで意識した設計だった。旅行のイメージ喚起から現地での楽しみ方まで一貫して提供する。今でいう
「カスタマージャーニー」
を先取りした施策だったといえる。
JALが全社をあげて展開したリゾッチャ・キャンペーンは、通常の国際線よりも親しみやすい雰囲気を演出し、多くの支持を獲得した。日本人の海外旅行需要を広げる大きな原動力となった。