街なかから消えゆく「歩道橋」 古き良きデザインが物語る、目指すべき「道路の未来」とは

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インダストリアルデザイナーのパイオニアとしても知られる柳宗理から始まった「歩道橋を美しくする」取り組みが現在に問いかけるものとは。

「量より質」のインフラとは

現在の横浜の街並み(画像:写真AC)
現在の横浜の街並み(画像:写真AC)

 しかし、すべての自治体が質より量を重視していたわけではない。質にこだわったインフラづくりを打ち出していた自治体もある。

 1963(昭和38)年に横浜市長に当選した飛鳥田一雄はそれまで社会党の衆議院議員だったこともあり、飛鳥田在任時の横浜は革新市政といわれる。同時期、横浜市と並ぶ神奈川県の二大都市・川崎市でも社会党・共産党から支持を受けた伊藤三郎が当選していた。こうした政治状況は、神奈川県だけが独特だったのではなく、当時は全国的に革新と呼ばれる首長が多く誕生している。

 従来、革新と呼ばれる政治家は、インフラ整備といったハード面の政策よりも福祉といったソフト面の政策を重視しているといわれる。そうした面はあるものの、それは一面的な見方でしかない。

 例えば、病院・保健所がなければ医療や福祉政策を充実させることはできない。道路が整備されていなければ、救急車が迅速に患者を搬送できない。狭い道路では消防車を出動させて消火活動をすることが難しくなる。また、救急車の搬送、避難路といったソフト面から見ても道路の整備は怠れない。

 しかし、インフラ整備という政策内容を詳細に見てみると、革新と呼ばれる政治家たちには特徴的な部分を見いだすことができる。それが、「量より質」へのこだわりだ。

 飛鳥田市長は横浜を発展させるために六大事業を打ち出したが、それらを簡潔に列挙すると、

・都市部の強化(具体的には横浜駅およびみなとみらい地区の開発
・金沢地先埋立事業(埋め立て地の造成および金沢シーサイドラインの建設)
・港北ニュータウンの造成
・高速鉄道網の整備(横浜市電から横浜市営地下鉄への置き換え)
・高速道路網の建設
・横浜ベイブリッジの建設

となる。

 六大事業はすべてインフラ整備といえるものだが、飛鳥田市長はインフラを単に建設するのではなく、どのようにつくるのか? にこだわりを見せた。

 飛鳥田市長が誕生したのは高度経済成長期の入り口でもあり、大量生産・大量消費が是とされる時代でもあった。飛鳥田市長は時代の風潮にはおもねらず、都市デザインという考え方をベースにして六大事業を推進していく。

 デザインという考え方には正解がなく、個々の感性によるところが大きい。そのため、飛鳥田市長が都市デザインにこだわりを見せても、それを受け入れる市職員は困惑したことだろう。

 右肩上がりで経済が成長している当時は、よくわからない課題でも果敢に挑戦できるという空気もあった。失敗しても再び挑戦するという試行錯誤が許される雰囲気もあった。それが奏功していた部分もある。とにかく、都市デザインという概念から、新しい時代に向けた横浜の整備が始まった。

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