空飛ぶ広告「飛行船」 最近すっかり見かけなくなったワケ

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昭和時代はよく見た飛行船とアドバルーン。いったいなぜ姿を消したのか。

高度成長期に需要増加

東京都千代田区にある銀星アド社(画像:(C)Google)
東京都千代田区にある銀星アド社(画像:(C)Google)

 水野の会社は大いに発展し、1936(昭和11)年のニ・ニ六事件の際は戒厳司令部に呼び出され、

「勅命下る 軍旗に手向かうな 戒厳司令部」

という有名なアドバルーンを西新橋の飛行館屋上から上げている。なお、水野の開いた銀星アド社は現在も各種バルーンを扱っている。

 飛行船とアドバルーンは、高度成長期になると需要が増した(日本の広告飛行船の第1号は1968年)。昭和40年代までの資料映像を見ると、繁華街ではさまざまなアドバルーンが浮かんでおり、社名や商品名を船体に描いた飛行船が当たり前のように空を飛んでいる。しかし、その後需要は減少。飛行船を飛ぶ姿を見ることは少なくなった。

 減少理由は、まず

・高層ビルの増加

が挙げられる。

 ビルが高層化したことで、大空に浮かぶ飛行船やアドバルーンは目立たなくなってしまった。そして、その役目も壁面の懸垂広告で間に合うようになった。

飛行船操縦で必要な免許とは

国土交通省のウェブサイトに書かれた、「事業用操縦士」の業務範囲(画像:国土交通省)
国土交通省のウェブサイトに書かれた、「事業用操縦士」の業務範囲(画像:国土交通省)

 現在の日本で、飛行船を飛ばしている会社はない。

 かつて日本航空は「日本飛行船事業」という会社を所有し、埼玉県のホンダエアポートを本拠地として、広告飛行や遊覧飛行を行っていたが、1996(平成8)年に運行を停止している。

 その後、2002年に日本郵船の出資を受けた「日本飛行船」が設立されている。同社は広告宣伝のほか、遊覧飛行にも乗り出し、2010年には晴海埠頭(ふとう)発着のクルーズを開始したことが大きく報じられた。しかし売り上げは伸びず、間もなく事業を停止している。

 日本国内に飛行船事業を行っている会社がないので、飛行船の操縦免許を取得することも困難だ。広告宣伝や遊覧飛行を行う飛行船を操縦するには

「事業用操縦士 (滑走機/飛行船)」

が必要だ。

 試験は年3回実施されているものの、

「18歳以上で、飛行船による20回以上の離着陸を含む、50時間以上の機長としての飛行などを含む200時間以上の飛行経験を有する方」

とされているので、まず日本国内では受験資格を得るのも難しい。専門に事業を行っている会社もなく、人材確保も難しい。それが飛行船減少の理由だ。

 アドバルーンの場合は最盛期には東京だけで40社があったが、2010年代になると10社ほどに減っている(『朝日新聞』2014年2月7日付朝刊)。

 これは広告効果が薄れたことに加えて、最初期とは異なり「空はタダ」と勝手に気球を飛ばすわけにはいかなくなったためだ。

 現在では、アドバルーンは自治体がそれぞれ定める「屋外広告物条例」などで規制されている。屋外広告物条例ではさまざまな宣伝用の看板が規制されているが、アドバルーンの場合は、自治体によって、掲出できる場所や方法の基準がバラバラだ。広告としてはかなり手間がかかるのも、需要が減った理由といえるだろう。

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