ウーブン・シティで再注目! トヨタの技術開発を支えた「テストコース」の歴史を振り返る
トヨタ初の乗用車は1935年完成

トヨタが自動車メーカーの道を歩み始めた戦前期は、まだマイカー所有者が少なかった。ゆえに試験走行を公道で実施しても問題は起きなかった。
例えば、1935(昭和10)年に完成したトヨタ初の乗用車は、刈谷市の公道で試験走行が実施された。刈谷市が試験走行に選ばれた理由は、単にトヨタの製造工場があったからだ。
その後、トヨタは工場周辺で試験走行を実施するだけではなく、気候や都市構造の違いでも自動車がキチンと走れるのかを検証するべく、刈谷から長野県松本市を経由して東京までの行程を試験走行している。
これは、都市部だけではなく山間部でも自動車を問題なく走ることができるのかが検証された。都市部では道路インフラが整備されているが、自動車は整備された道路だけを走るわけではない。急勾配や急カーブ、時には未舗装の道路も走らなければならない。こうした試験走行により、トヨタは自動車技術を確立していく。
1966年、裾野市にテストコースを開設

その後、トヨタは1938(昭和13)年に愛知県挙母市(現・豊田市)に本社や工場を移転させるが、同敷地内には一周400mのテストコースを開設。自動車が当たり前になった現在から見ると、一周400mのテストコースは小規模といえるかもしれないが、専用のテストコースを開設したことでトヨタは技術開発をスピードアップさせた。
戦災復興が一段落する1950年代半ばにさしかかると、工場敷地内のテストコースをバージョンアップさせる形で一周2kmのテストコースが設置された。これは自動車メーカー初となる本格的なテストコースで、この開設によりトヨタは自動車開発をさらに加速していく。
高度経済成長を迎えた1960年代は、一般道路や高速道路の整備が進み、それに伴いマイカー所有者も増加した。
トヨタは自動車が高速化することを見据え、1966年には静岡県駿東郡裾野町に東富士テストコースを開設。同テストコースは、周回路が一周3.7kmで4車線、副周回路が一周2.6kmで3車線という大規模なものだった。同テストコースが特筆すべき点は、最高車速200kmの試験走行も可能になったことだ。
テストコースは、その後も少しずつ拡充していった。高速での旋回性能や制動性能評価を試験するハンドリング試験場、氷上や雪道といった滑りやすい路面を再現したスキッド路などが設置されて、あらゆるテストが可能になる。