「もう怒りしかない」なぜ宅配の荷物は投げられたのか? ネットで話題! 置き配が“投げ配”に変わる衝撃、50億個の物流を支える構造と歪みとは
置き配が市民権を得る一方で、“投げ配”の実態がSNSで波紋を広げている。背景には、年間50億個超の宅配物量と評価制度に縛られた現場の疲弊がある。丁寧さが「コスト」と見なされる時代に、物流の当たり前を問い直す必要がある。
評価至上主義の副作用

もうひとつ、見逃せないのが配達員の評価制度だ。
多くの物流事業者では、配達員が契約社員や業務委託として働いている。彼らは
「時間内に何件こなしたか」
「誤配・クレームがないか」
といった数字に基づいて日々評価される。評価が報酬や次回契約の継続に直結する以上、こなすことが最優先事項になるのは当然の帰結だ。
しかも、SNSやレビュー機能によって消費者の声が可視化される時代。ほんの数件の遅延やクレームが仕事の質と見なされ、悪影響を及ぼしかねない。荷物を投げた配達員を「常習ではないか」と疑う声がある一方で、その背景にある労働構造への視点は乏しい。
配達員個人のモラルの問題として片付けてしまうことは簡単だ。しかし、そうした論調の裏で、システムが強いる
「非人間的な働き方」
が見落とされている。人間の行動が乱暴になるとき、それはしばしばそうせざるを得ない状況があるからだ。