「ひとりの女子高生のために駅を残した」 JR北海道の決断は本当に美談だったのか? 旧白滝駅2016年廃止が問いかける、地方鉄道の持続可能性とは
北海道の旧白滝駅は、ひとりの女子高生のために存続したという感動的な話で注目を浴びた。しかし、廃止後の現実を考えると、この判断が本当に適切だったのか疑問が浮かぶ。地域交通の持続可能性や他の選択肢が十分に検討されていたのか、長期的な視点での議論が必要だ。
地方鉄道の命綱としての役割

この出来事が美談として広がった背景には、いくつかの要素がある。
まず、鉄道が地方のライフラインとしての役割を果たしているという認識がある。日本では鉄道は単なる交通機関にとどまらず、地域の命綱ともいえる存在だ。特に地方では、バスやタクシーが十分に整備されていない場合が多く、鉄道の存続自体に大きな意味がある。そのため、「ひとりのために駅を残した」という話は、「公共サービスとしての鉄道の理想的なあり方」として受け入れられやすかった。
次に、鉄道会社に対する「冷徹なビジネス組織」という先入観が影響している。地方路線の廃止が相次ぐなかで、多くの人々は鉄道会社を「採算ばかり考え、地方を切り捨てる存在」と捉えがちだ。しかし、このケースでは「女子高生のために鉄道を残した」という点が、そのイメージを覆すものとして受け入れられた。「企業が利益よりも利用者のために動いた」という構図は感動を生みやすく、そのため、海外メディアでも「日本の鉄道会社の温かい決断」として紹介された。
最後に、ストーリー性が大きな要素だ。この事例が注目された最大の理由は、女子高生がひとりで利用していた駅という点だ。もしこの駅を利用していたのが
「ひとりの中年男性」
だったら、果たして同じように報じられたのだろうか。若者、特に女子高生が「たったひとりで電車を待つ」というイメージが象徴的な印象を生み、人々の関心を引きつけたことは間違いない。