「揚げたて天ぷら」の誕生と輸送革命! その影響を与えた「交通機関」をご存じ? 江戸から明治への食文化の転換を考える
江戸時代に屋台グルメとして生まれた天ぷら。江戸時代は「揚げ置き」「二度揚げ」していた天ぷらだが、明治時代になると新鮮な生の魚介を客の注文に応じ揚げるようになり、人気に拍車がかかった。明治時代に天ぷらが変化した背景には、ある交通機関の存在があった。
天然氷が普及させた蒸気船

帆船は風力や潮の流れを動力とするため、風向きによっては速度が大幅に落ち、嵐になれば港に退避しなければならなかった。航行日数が予測できないため、天候次第では途中で氷がすべて溶けてしまう可能性もあった。
一方、函館と横浜の航路で氷を運んだのは蒸気船だった。蒸気船は動力船であり、天候に左右されず一定の速度で航行できるため、到着までの日数が計算できた。その結果、どれだけの氷が溶けずに残るかを予測でき、商売として成立した。
明治初期の天然氷の産地が函館だったのは、幕末に開港した函館が外国からの蒸気船の発着場として整備されていたからだ。他の港は帆船専用であり、天然氷の輸送には適していなかった。
1871(明治4)年に始まった函館氷の横浜への輸送量は、初年度が670トン、翌年には1061トンに達した(小泉和子『台所道具いまむかし』)。人力輸送とは比較にならない蒸気船の輸送力によって天然氷が広まり、天ぷらや握り寿司のあり方を変えていったのである。