「揚げたて天ぷら」の誕生と輸送革命! その影響を与えた「交通機関」をご存じ? 江戸から明治への食文化の転換を考える

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江戸時代に屋台グルメとして生まれた天ぷら。江戸時代は「揚げ置き」「二度揚げ」していた天ぷらだが、明治時代になると新鮮な生の魚介を客の注文に応じ揚げるようになり、人気に拍車がかかった。明治時代に天ぷらが変化した背景には、ある交通機関の存在があった。

江戸時代に天然氷が普及しなかった理由

函館氷は五稜郭のお掘りから切り出され横浜に運ばれた。望洋散士『北海道名所案内』(画像:国会図書館)
函館氷は五稜郭のお掘りから切り出され横浜に運ばれた。望洋散士『北海道名所案内』(画像:国会図書館)

 明治時代前半に普及した氷は、機械製氷による人工氷ではなく、天然氷だった。しかし、天然氷は江戸時代にも存在していたはずだ。それにもかかわらず、なぜ江戸時代の天ぷら屋台や寿司屋台には天然氷が普及しなかったのか。

 江戸時代にも夏に天然氷を手に入れられた人がいた。徳川将軍である。

 加賀藩は藩内に氷室を持ち、冬に貯蔵した氷を夏まで保存し、江戸まで運搬して徳川将軍に献上していた。運搬手段は街道を使った人力輸送だった。

 一方、明治時代初期から半ばにかけて普及した天然氷は「函館氷」と呼ばれ、函館から船で輸送されていた。

 加賀の天然氷は人力輸送だったため、運べる量に限界があり、市場に出回るほどの大量供給は不可能だった。それに対し、函館氷は大型船で横浜へ運ばれ、天ぷら屋台でも使えるほどの量を提供できた。

 では、なぜ江戸時代には船による天然氷の輸送がなかったのか。その理由は、当時の船が帆船だったからだ。

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