「揚げたて天ぷら」の誕生と輸送革命! その影響を与えた「交通機関」をご存じ? 江戸から明治への食文化の転換を考える
江戸時代に屋台グルメとして生まれた天ぷら。江戸時代は「揚げ置き」「二度揚げ」していた天ぷらだが、明治時代になると新鮮な生の魚介を客の注文に応じ揚げるようになり、人気に拍車がかかった。明治時代に天ぷらが変化した背景には、ある交通機関の存在があった。
明治時代、揚げたてを提供
銀座の老舗天ぷら店『天國』の二代目主人、露木米太郎は明治時代の天ぷらの仕込みについてこう回想している。
「明治の末期までは、上野浅草の盛り場を除いて市内の天ぷら屋はだいたい、夕方からの商売でしたので、朝、魚河岸からかえりますと魚の下ごしらえをすまして、当時冷蔵庫が買えない店が多いので、みんなうなぎざるの中央に氷を入れて、そのまわりに造った魚を布に包んで入れました」(露木米太郎『天婦羅物語』)
明治時代に氷が普及し、生の魚介を腐敗させずに夕方まで保存できるようになったことで、二度揚げではなく揚げたての天ぷらを提供できるようになった。質の向上とともに、天ぷらはさらに人気を集めていった。
握り寿司もまた、氷の普及によって変化していった。
「膳つけ(前つけ)、今でいうカウンターには、二つの丼。一つには醤油、一つにはガリが入っている。斜めのつけ台があり、また、すしダネは、箱の中にスノコを引いて氷をおき、その上にのせておいた」(大前錦次郎『ザ・すし』)
1910(明治43)年生まれの寿司職人大前錦次郎が語る、戦前の屋台の回想である。氷の普及によって生の魚介を使った握り寿司が定着し、醤油をつけて食べる現在のスタイルへと変わっていったのである。