鉄道趣味はなぜ「宗教的」と呼ばれるのか? SNSで暴走する“信者”たちの正体! 知識マウント、聖地巡礼… 共通点を考える

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鉄道オタクの攻撃的な反応がSNSで話題となり、鉄道趣味に潜む「宗教的な側面」が注目を浴びている。過去に300件以上のコメントを集めた記事が指摘するように、知識の誇示と承認欲求が議論を過熱させ、オタク文化の独自性が社会に与える影響も浮き彫りになった。鉄道趣味は「宗教的な要素」を持ちながらも、実際にはあくまで「文化的趣味」であり、その本質に迫る考察を深める。

宗教とは異なる点

鉄道(画像:写真AC)
鉄道(画像:写真AC)

 一方で、鉄道趣味には宗教とは根本的に異なる点もいくつかある。

 まず、鉄道趣味には絶対的な教祖が存在しないという点だ。宗教には預言者や神のような「教祖的存在」がしばしば登場するが、鉄道趣味の場合、確かに有名な評論家や研究者は存在するものの、彼らが「信仰の対象」となることはない。むしろ、鉄道愛好者は各自が自分なりの価値観を持ち、それを楽しんでいるため、個人主義的な趣味であるといえる。

 次に、鉄道趣味には救済や倫理観が存在しない。宗教には人生の意味や死後の世界に関する教え、また倫理的な規範があるが、鉄道趣味にはそうした要素はほとんど見られない。例えば、特定の鉄道会社の政策を批判することはあっても、「鉄道を愛する者はこうあるべき」といった明確な倫理的規範は存在しない。

 最後に、鉄道趣味は宗教ほどの社会的影響力を持たない。宗教は人々の価値観や社会制度に深く影響を与えるが、鉄道趣味が社会全体に与える影響は限られており、せいぜい鉄道会社の施策や鉄道イベントの開催に影響を与える程度だ。社会全体に対する影響力は、宗教と比較すると圧倒的に小さいといえる。

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