鉄道趣味はなぜ「宗教的」と呼ばれるのか? SNSで暴走する“信者”たちの正体! 知識マウント、聖地巡礼… 共通点を考える
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鉄道趣味と宗教の共通点

宗教は一般的に、信仰の対象を持ち、それを中心にした価値体系や儀礼をともなう社会的・文化的な活動と定義される。この定義を鉄道趣味に当てはめると、いくつかの共通点が見えてくる。
まず、鉄道趣味における絶対的な価値観が挙げられる。宗教には「この教義が正しい」といった絶対的な価値観が存在し、鉄道趣味にも同様に強い信奉が見られる。例えば、
「国鉄型車両こそ至高」
「L特急が消えたのは鉄道文化の衰退」
「新幹線よりも在来線特急のほうが風情がある」
といった意見を持つ鉄道ファンが少なくない。また、特定の鉄道会社や政策を批判する際には、
「かつての鉄道はよかった」
「民営化がすべてを悪くした」
といった二項対立的な価値観が顕著に現れる。このような意見は、宗教における「善と悪」の構図を彷彿とさせる。
次に、鉄道趣味における儀式的な行為と巡礼の側面も挙げられる。宗教には信者が繰り返し行う儀式や、聖地巡礼のような行為があるが、鉄道趣味においてもこれに似た行動が見られる。
例えば、特定の路線や車両に何度も乗る「乗り鉄」の行動は、ある種の巡礼のようなものだ。また、鉄道イベントでの「撮影会」や、駅弁を食べながらの長距離旅行も、儀式的な側面があるといえるだろう。さらに、廃線跡を訪れることを「供養」と表現するファンもおり、鉄道文化には確かに儀礼的な側面が存在している。
最後に、鉄道趣味における教義に基づく排他性の問題がある。宗教が内向きになり、異なる価値観を持つ人々を排除するように、一部の鉄道オタクにも強い排他性が見られる。
特にインターネット上では、「にわか」と呼ばれる初心者に対する排斥が目立ち、
「基本を知らないやつが語るな」
「そんなことも知らないのか」
といったコメントが頻繁に見受けられる。知識を共有するよりも、その優位性を誇示することが目的化している場合も多く、これが「正統な信者」と「異端者」を区別する宗教的な構造に似ているといえるだろう。