「孤独のグルメ」ファンの矛盾! 全然“孤独”じゃない聖地巡礼、本当にそれでいいのか?

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『孤独のグルメ』の人気は、聖地巡礼現象を引き起こし、地域の交通やモビリティに影響を与えている。ドラマに登場した飲食店に訪れるファンが増え、地域経済には貢献しているものの、混雑も引き起こしている。この現象を通じて、モビリティ産業の新たな課題やチャンスを探り、地域活性化にどう活かすかを考える必要がある。

誕生の裏にあった社会批判

80年代の3ドア自動車(画像:写真AC)
80年代の3ドア自動車(画像:写真AC)

 バブル経済が崩壊した後の日本では、1980年代の過剰な消費文化や表面的な流行への反発が強まっていた。特に若者の間で「反・流行」の姿勢が知性や批評的な精神の表れとして評価されていた。

 グルメブームだけでなく、音楽やファッション、サブカルチャーなど、あらゆる分野で

・通ぶること
・軽薄な流行を追うこと

への嫌悪感が広がっていた。この態度は単なる反抗ではなく、バブル時代の価値観への疑問や、もっと本質的なものを求める姿勢の表れでもあったといえる。

 記事中で久住が語った「しゃらくせえ」という言葉も、単にひとりの評論家への批判を超え、当時の日本社会全体が抱えていた価値観への批判を象徴していた。このような時代背景があってこそ、『孤独のグルメ』という作品が成立したのである。

 また、作画を担当した谷口は、当初この仕事に対して違和感を抱いていたことも重要だ。前出の『SPA!』の記事などでも、谷口自身が、自分が描くべき作品なのか、そもそも面白いのかと、第3話あたりまでは不安を抱えていたと述べている。

 今では『孤独のグルメ』のイメージが定着しているが、当時の谷口はむしろハードボイルドな漫画を描くイメージが強かった。デビューから1980年代までは“一流出版社”での仕事はほとんどなく、現在では出身地の鳥取県の公式サイトが

「ヨーロッパで最も人気のある日本人作家の一人」

と称賛しているほどだが、かつての谷口はもっと尖っていた。『週刊プレイボーイ』1982(昭和54)年3月23日号の記事「忘れていたロマンを謳え 青年漫画誌の反乱」では、

「フィリピン生まれの混血児」
「日本へ密航」

といった、プロフィル(本人申告?)が記されている。ちなみに、同記事はかわぐちかいじや大友克洋も掲載している。

 その表現手法も時代とともに変わり、初期の情念むき出しのスタイルから、次第に静かで穏やかな作品へと変化していった。関川夏央との『『坊っちゃん』の時代』(双葉社)は、その好例といえるだろう。

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