ドイツ「エア・ベルリン」はなぜ破綻したのか? LCCとフルサービスの狭間で迎えた悲劇的結末、39年の歴史を振り返る

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エア・ベルリンは1978年に設立されたハイブリッドエアラインで、かつては欧州のトップ10に入る旅客数を誇っていた。しかし、2009年以降の成長戦略の失敗や競争の激化が影響し、2017年に倒産してしまった。39年間の歴史に幕を閉じることになったのだ。顧客のニーズと従業員の忠誠心の乖離が、存続の道を閉ざす結果となったという教訓がある。

統一後、LCCに事業転換

エア・ベルリンのロゴ。
エア・ベルリンのロゴ。

 しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌1990年には東西ドイツが統一されたことで、ベルリンに課せられていた特殊な航空会社の乗り入れルールも解消された。

 これにより、ルフトハンザをはじめとする旧西ドイツの航空会社や多くの航空会社がベルリンに乗り入れるようになった。1991年には、東ベルリンを拠点にしていた東ドイツのフラッグキャリア・インターフルグが競争の激化を理由に解散したが、エア・ベルリンはこれをチャンスと捉えた。

 エア・ベルリンは1991年に資本をドイツに移し、正真正銘のドイツの航空会社として再スタートを切った。その後、欧州で台頭したLCCに事業転換し、B737シリーズを次々と導入した。ベルリン・テーゲル空港を中心に欧州各地へのネットワークを広げていった。

 エア・ベルリンは航空券の直接販売比率が高く、LCCのモデルに当てはまる一方で、

・機内食
・座席指定

など一部サービスを無料で提供するなど、ライアンエアーやイージージェットとは異なり、エア・ベルリンは

「LCCとフルサービスキャリアの中間」

ともいえる戦略を取っていた。このような特徴を持つ航空会社は後にハイブリッドエアラインと呼ばれるようになり、エア・ベルリンはその先駆けといえる存在だった。

00年代に欧州大手の規模に成長

ドイツの航空会社エア・ベルリンのモダンなカラーリングの航空機。2008年に初めて使用された(画像:Felix Gottwald)
ドイツの航空会社エア・ベルリンのモダンなカラーリングの航空機。2008年に初めて使用された(画像:Felix Gottwald)

 そんなエア・ベルリンは2000年代以降、LTUやニキ、ドイチェBAなどの航空会社を次々と買収し、ベルリンとデュッセルドルフをハブ空港として利用することで、欧州のトップ10に入る旅客数を誇るまでに成長した。

 当初はB737シリーズを中心とした小型機で欧州内を運行していたが、LTUの買収により、A330シリーズも導入されるようになり、

・北米
・中東
・アフリカ
・東南アジア(タイ)

などの中長距離路線も運行するようになった。

 2006年には株式上場を果たし、資金を獲得してさらなる成長を目指していた。同時に、手狭になったベルリン・テーゲル空港の代替として、ベルリン・ブランデルブルク国際空港の建設も始まった。

 エア・ベルリンは、2012年に開業予定のこの新空港を新たなハブとして利用し、ネットワークをさらに拡大する成長戦略を描いていた。

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