ドイツ「エア・ベルリン」はなぜ破綻したのか? LCCとフルサービスの狭間で迎えた悲劇的結末、39年の歴史を振り返る
エア・ベルリンは1978年に設立されたハイブリッドエアラインで、かつては欧州のトップ10に入る旅客数を誇っていた。しかし、2009年以降の成長戦略の失敗や競争の激化が影響し、2017年に倒産してしまった。39年間の歴史に幕を閉じることになったのだ。顧客のニーズと従業員の忠誠心の乖離が、存続の道を閉ざす結果となったという教訓がある。
エア・ベルリンの記憶
ドイツの首都ベルリン――。人口300万人以上の同国最大の都市だが、航空路線はルフトハンザが拠点を置くフランクフルトやミュンヘンに比べて少ない。しかし、かつてはベルリンを拠点にした航空会社が存在していた。それがエア・ベルリンだ。
エア・ベルリンは格安航空会社(LCC)とフルサービスの中間を担う
「ハイブリッドエアライン」
の代表的な存在だったが、競争に敗れて消滅した。
では、なぜ欧州最大の経済大国の首都を拠点にし、差別化を図っていたはずの航空会社が消滅に至ったのか。本稿では、その経緯と理由を説明したい。
冷戦化の西ベルリンで誕生
エア・ベルリンは、冷戦の真っただなかである1978年に西ベルリンのテーゲル空港を拠点に誕生した。当初の就航先は、
・マジョルカ島のパルマ・デ・マヨルカ
・ベルギーの首都ブリュッセル
・米国のフロリダ州オーランド
だった。しかし、当時のルフトハンザなどの西ドイツの航空会社は、西ベルリンやその途中にある東ドイツの空域に乗り入れることができない規定があった。そのため、西ベルリンに乗り入れることができたのは、第2次世界大戦で西側の戦勝国である
・米国
・フランス
・英国
の3か国を拠点とする航空会社のみだった。エア・ベルリンは正式には「エア・ベルリンUSA」という名称で、西ベルリンを拠点にしているにもかかわらず、米国の会社として扱われるという独特な状況にあった。