北海道と本州の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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津軽海峡の道路接続は地域経済にとって重要な「ミッシングリンク」だ。青森県の試算によれば、津軽海峡の道路接続が実現すれば年間1兆5000億円の経済波及効果が期待できるという。

「1.2兆円」負担の壁と現実

大金の負担イメージ(画像:写真AC)
大金の負担イメージ(画像:写真AC)

 この熱意は、両岸を除けばほとんど共感を得ることがなかった。最大の障壁は予算面にあった。当時の青森県の試算では、次のような数字が示されていた。

・民間借入金(青森県負担分):1.2兆円(償還期間30年)
・年間維持管理費:約300億円

 これらの数字は関係者に大きな懸念を抱かせた。特に、本州四国連絡橋公団の債務が3兆円を超え、公的資金での処理が検討されていた時期だけに、新たな大規模プロジェクトへの警戒感は強かった。

 それでも、木村知事は積極的な姿勢を崩さなかった。六ヶ所村への使用済み核燃料搬入問題では、事故時の避難ルートとして架橋を交渉材料に挙げるなど、あらゆる機会を通じて構想の実現を訴え続けた。しかし、結局、すべては青森県と北海道での

「ローカルな話題レベル」

に過ぎず、国レベルではほとんど議論にもならなかった。唯一、1995(平成7)年には当時の建設省が本州四国連絡橋公団を存続させる方策として、七つの架橋構想(津軽海峡・豊予海峡などのプラン)の実現を担わせることを提案した。しかし、当時は本州四国連絡橋が無駄に複数の架橋を行った

「政治橋」

とやゆされていたため、新たな架橋構想はまったく支持を得られず、何の進展もなかった。2003年には、引退した木村知事に代わって架橋中止を公約に掲げた三村申吾氏が青森県知事に当選した。三村知事は

「県政の枠内においては無理」

とし、直後の県議会で津軽海峡大橋に関する予算を全額削除した。その後、青森県内の市町村では協議会が存続したものの、次第に活動は衰退し、計画は完全に立ち消えとなった。

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