北海道と本州の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?
年間の経済波及効果「1兆5000億円」
当時、建設推進派は日本道路協会の機関誌『道路』1990(平成2)年11月号に掲載された吉田巌氏の論文『ジブラルタル海峡と津軽海峡と』に頼っていた。吉田氏は、本州四国連絡橋公団の第二建設局長を務めた建設省出身の橋梁建設の専門家で、この論文では津軽海峡大橋の実現可能性について論じている。
当時の関係者の発言からは、専門家の意見を受けて技術的な問題は解決できるという楽観的な雰囲気が伝わってくる。論文では、明石海峡大橋が着工までに25年以上かかったことにも触れ、津軽海峡大橋は短期的には難しいが、50年後や100年後には実現できるかもしれないと示唆している。そのため、早期の準備が必要だと考えられていた。
1997年に発行された『大間町史』には当時の雰囲気が反映されている。この本では、計画を「本州北海道連絡橋構想」として1ページを割いており、次のように述べている。
「橋梁技術の進歩は世界的にも著しい現在、津軽海峡に橋を架けることは決して夢ではない、十分実現可能であるとする専門家らの声も多く、夢の架け橋として21世紀中の実現へ向け、大間町民の期待が高まっている」
この記述から、津軽海峡大橋が単なる夢物語ではなく、現実的な構想であり、地元住民の期待を集めていたことがわかる。
さらに、この期待を後押ししたのは、橋の建設によってもたらされる膨大な経済効果だった。当時、青森県の試算によると、その効果は次のように示されている。
・経済波及効果:年間1兆5000億円
・時間短縮効果:開業10年間で121億円
これらの効果は構想実現への期待を大きく高め、県はこの事業を国の開発構想に盛り込むことを目指し、毎年約850万円を技術調査委託費として計上した。また、北海道側と協力して両岸に市町村協議会を設置し、精力的なPR活動も行った。