日本の「乗り物ファン」と南太平洋の意外な共通点? 飛行機・船を“信仰対象”とする「カーゴ・カルト」をご存じか
乗り物ファンの儀式的行動

一見すると、こうしたファンの行動は奇妙に見えるかもしれない。今の日本社会では、乗り物は単なる移動手段でしかないはずだ。しかし、ファンはそこに特別な意味を見いだし、強い愛着を持っている。これは、カーゴ・カルト信者が船や飛行機に神秘的な力を見いだし、儀式に用いるのと似ているかもしれない。
ファンは、崇拝する乗り物に関する膨大な知識を収集し、その歴史や技術的側面に精通している。これは、カーゴ・カルト信者がカーゴを運ぶ船や飛行機について独自の神話や伝承を築いてきたのと似ている。
ファンの知識は一種の神話体系として機能しているのだ。言い換えれば、乗り物ファンたちは、急速な技術革新という未知の物理的世界を、自分たちになじみのある方法で解釈しようとしているともいえる。
しかし、乗り物ファンの熱狂的な行動は、しばしば「異常」や「病的」として扱われる。特にSNSの普及以降、その傾向はますます強まっている。果たしてこれは適切な見方なのだろうか。
西洋の植民地主義者たちは、カーゴ・カルト主義者の行動を「狂信」「未開」とレッテルを貼ってきた。同様に、ファンの行動も主流社会の規範から外れているという理由で不当に病理化されるかもしれない。むしろ、ファンの行動は、人間の本質的な欲望と創造性の表現として、より肯定的に評価されるべきではないか。ファンは自らの情熱を通じて、乗り物という文化的対象に新たな意味と価値を見いだしているのだ。
このように考えると、カーゴ・カルトという現象は、特定の地域や時代に限定されるものではないことがわかる。グローバル化が進む現代社会においても、私たちは知らず知らずのうちにカーゴ・カルト的な反応を示しているのかもしれない。そこには、自己と世界を理解するための普遍的な考え方が潜んでいる。