業界に漂う閉鎖的構造の背景【連載】開かれたF1社会とその敵(1)

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F1は参戦規定が厳格化。その歴史的背景から技術力向上や経済効果のためにチーム数の制限が強まっている。

“走る広告塔”の進化と影響

筆者が過去に取材した際のF1画像(画像:武田信晃)
筆者が過去に取材した際のF1画像(画像:武田信晃)

 コンストラクターズ選手権が始まった1958年は、

・英ヴァンウォール
・英クーパー・クライマックス
・伊フェラーリ

など9チームが参加し、ヴァンウォールが初代チャンピオンに輝いた。

 翌1959年になると、クーパー・クライマックス、フェラーリ、英BRM、英ロータス・クライマックスなどのほか、米カーティス・クラフト・オッフェンハウザーなど16チームも参戦した(三栄『F1全史』)。

 つまり、米国グランプリだけなど、スポット参戦が認められていた。ドライバーも同様で、1976年の日本グランプリではコジマとマキがスポット参戦している。基本的にチーム数は増減を繰り返し、1989年には20チーム・39台にも達したが、2017年以降は10チーム・20台で開催されている。

 チームの参戦に大きな影響を与えたものが

「広告」

だった。1960年代後半までは、各F1チームはその国を代表するような存在だったが、徐々に広告が付き始めるようになり、1968年にはロータスがタバコ「ゴールドリーフ」のカラーリングで走るようになった。

 その後、F1は“走る広告塔”といわれるようになったが、ビジネスモデルが変わると、ドライバーやチームは興業主に対して、名誉に加え、一定の見返りを要求するようになった。当時は死亡事故も多かったので、これは想定内だった。

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