江戸を支えた水の道! 「利根川水運」の興亡と商業革命とは【連載】江戸モビリティーズのまなざし(22)

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利根川水運は、農産物や一般商品を安価で運び、江戸へと供給した。江戸時代の交通・運輸の中心地として、利根川は重要な役割を果たした。

船舶の交差点

葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景常州牛堀』の高瀬船。常州牛堀は現在の茨城県潮来市の辺り(画像:ColBase)
葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景常州牛堀』の高瀬船。常州牛堀は現在の茨城県潮来市の辺り(画像:ColBase)

 高瀬船に次ぐ規模の船が「〇(=舟へんに「帯」の旧字体。ひらた)船」(平田船とも書く)で、こちらの積載量は300~500俵ほど。〇船は利根川水系でも場所によって呼び方が変わり、利根川上流では「上州〇」、利根川から荒川に入り川越方面に向かうと「川越〇」と呼んだという。

 また、60~100俵の小型輸送船「茶船」もあった。茶船は荷物が少ないときは旅客輸送、つまり人も乗せた。

 大小さまざまな船が行き来する利根川は、江戸時代の交通・運輸の「見本市」といえる様相を呈していただろう。

 なお、利根川の高瀬船は、明治の文豪・森鴎外の短編小説『高瀬舟』とは別物である。小説のタイトルは、罪人を遠島に処す際に舟を走らせた京都の「高瀬川」から来ている。

●参考文献
・河川に生きる人びと 川名登(平凡社)
・利根川 東遷 澤口宏(上毛文庫)
・利根川荒川辞典 利根川文化研究会編(国書刊行会)

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