韓国と鳥取を結ぶ「日韓定期フェリー」5年ぶりに再開! 東アジアに新経済圏誕生が期待される理由とは

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境港と韓国の東海市を結ぶ国際定期貨客船が2024年8月に再開される。境港は日本海を横断する重要な物流拠点であり、南海トラフ地震対策としても強化が求められている。過去の政治対立やコロナ禍を乗り越え、日韓関係改善と地域経済圏の復活を目指す。

境港と日本海経済圏の歴史

境港市(画像:写真AC)
境港市(画像:写真AC)

 国際航路を通じて、境港が目指すのは日本海を挟んだ大陸との新たな経済圏の確立だ。

 日本海を利用した環日本海経済圏構想は1960年代から始まっている。当時の日本は高度経済成長の真っただなかにあり、太平洋ベルト地帯に工業化が集中する一方で、日本海側の地域は取り残されつつあった。そこで、日本海を挟んで対岸の国々と経済交流を活発化させ、新たなフロンティアを切り開こうという狙いがあったのだ

 だが、この経済圏構想には政治の壁が立ちふさがった。当時はまだ日本海対岸のソ連や中国、北朝鮮は社会主義圏。韓国も経済力は低くかった。日本海は文字どおり、東西冷戦の「壁」に阻まれていたのである。

 しかし、1980年代後半になると、情勢が一変する。ソ連のゴルバチョフ書記長が「ウラジオストク演説」や「クラスノヤルスク演説」でアジア太平洋地域重視の方針を打ち出したのだ。1988年は改革開放政策を進めていた中国で吉林省の豆満江下流域の開発計画が持ち上がる。こうして、社会主義圏が市場経済へとかじを切り始めたことで、経済圏への期待はにわかに高まった。

 1990年代に入ると、韓国の目覚ましい経済発展や、中国とソ連の和解が進むなど日本海を取り巻く情勢は一気に流動化していった。1991年8月のソ連の崩壊後「北東アジア経済フォーラム」が始動、日中ソ韓の沿岸地方政府が一堂に会し、環日本海経済圏構想は一気に具体化に向かう動きを見せている。

 1992年7月、北朝鮮の羅津で「豆満江地域開発計画に関する国際会議」が開かれた。北朝鮮は羅津・先鋒地区を経済特区に指定、インフラ整備を近隣諸国に呼びかけた。さらに中国は琿春・防川を玄関口に豆満江流域の開発を、ロシアは「大ウラジオストク構想」を提唱し、沿海地方の開発意欲を示している。

 こうした雪解けムードのなかで、境港はにわかに活気づいている。境港市では1993年に、北朝鮮の元山市と友好都市協定を締結。境港市では1970年代から自民党市議団による友好関係強化の取組が続いており、それが結実したものであった。

 これによって、境港には多数の北朝鮮船が寄港するようになり、カニや松竹の水揚げ港として活気づいたのである。しかし、2000年代に入り拉致問題や核開発問題がクローズアップされ、日朝関係が悪化すると、そのにぎわいは途絶えた。2006年には友好都市協定の解消も余儀なくされている。

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