西武グループ創業者・堤康次郎はなぜ土地を買いまくったのか? 阪急・小林一三&東急・五島慶太の決定的な違いとは
堤康次郎は阪急の小林一三や東急の五島慶太とは違っていた。前者が「沿線開発」を展開したのに対し、堤は土地の確保を第一に考えた。なぜか。
誕生と幼少期
私鉄の経営者といえば、まずは阪急の小林一三や東急の五島慶太を思い浮かべる人が多いだろうが、西武グループの創始者である堤康次郎(やすじろう)の名を思い浮かべる人もいるかもしれない。ただし、今回紹介する老川慶喜『堤康次郎-西武グループと20世紀日本の開発事業』(中央公論新社)を読むと、小林や五島とは違った経営者の姿が見えてくるだろう。
小林や五島が鉄道経営のために「沿線開発」を行っていったのに対して、堤康次郎は
「まずは土地」
なのである。堤康次郎の事業は多岐におよび、本書はその膨大な事業を追いかけているが、ここでは土地開発と西武鉄道経営の部分を中心に紹介したい。
堤康次郎は1889(明治22)年に滋賀県愛知郡八木庄村で生まれている。農業の傍ら麻仲買商を営む家に生まれたが、康次郎が4歳のときに父が亡くなってしまい、康次郎は祖父母のもとで育てられた。
康次郎は高等小学校の成績もよく、中学校への進学の話も出たが、孫のひとり暮らしを心配した祖父が反対し、康次郎は家で農業に従事し、また肥料の販売や農地の区画整理にも取り組んだ。
1907年に祖父が死去すると康次郎は上京を決意し、農地などの財産を処分したうえで1909年に早稲田大学高等予科に入学した。早稲田大学に入学すると、柔道部と雄弁会に所属し人脈を広げていった。雄弁会の活動を通じて、桂太郎、後藤新平、大隈重信、永井柳太郎らと出会い、特に学問の面では永井に師事することになった。