「駅の発車メロディ」は町おこしになる? 利用客には日常でも、ファンには“特別感”という事実【連載】移動と文化の交差点(5)

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最近、SNSや動画共有サイトでファンが各駅の駅メロを紹介し合うなど、一種の「ミュージックツーリズム」が注目されている。

メロディーの歴史

豊後竹田駅の位置(画像:OpenStreetMap)
豊後竹田駅の位置(画像:OpenStreetMap)

 このようなメロディーが始まったのはいつ頃だろうか。

 諸説あるが、1951(昭和26)年に豊後竹田駅(大分県竹田市)で地元出身の滝廉太郎が作曲した「荒城の月」が流れた記録があるという。1970年代には、大手私鉄が発車メロディーを採用していたとされている。かつては金属音や電子音が一般的だったが、国鉄分割民営化以降、新しい試みが増えた。

 筆者の記憶に残るのは、

・JR蒲田駅「蒲田行進曲」(1997年~)
・JR高田馬場駅「鉄腕アトム」(2003年~)

である。蒲田は松竹の撮影所があり、高田馬場は手塚治虫の虫プロダクションがあったため、ご当地メロディーと呼ぶに相応しい。どちらも発車メロディーとして使用されている。

 現在、JRや私鉄を問わず、童謡からJポップまでさまざまな駅メロが広く使われている。JR茅ヶ崎駅の「希望の轍」は特に有名であり、茅ヶ崎出身の桑田佳祐率いるサザンオールスターズの1990(平成2)年の曲で、サザンビーチの向こうに見える烏帽子岩も歌詞に登場する。こちらは5、6番線の発車メロディーである。

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