「頂き女子」ではなく、真逆の「差上げ女子」を目指すべき理由 もちろん男子も同様だ!
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SNSを使って男性3人から計1億5000万円をだまし取ったとして女が逮捕された「頂き女子りりちゃん」騒動から、「頂く」ことだけの害悪を考える。
「差し上げる」ことに喜びを感じるようにならねばならない
もしジェネレイティビティを持つことがなく、
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「自分だけよければいい」
という利己的な考えしか持てなければ、いつか滅びる者として待っているものは絶望感しかない。自分が消えれば全ては終わる。こんなにむなしいことはない。
しかし、もしジェネレイティビティの感覚を獲得して、自分はたとえ衰えても、若い人をはじめとした同僚たちの活躍や幸福をわがごとのように喜びを感じられれば、いつまでも意欲を失わずにいれる。
つまり、聖人君子のように「利他の気持ち、自己犠牲の精神で差し上げよ」ということではなく、
「差し上げることが自然とうれしくなる」
ように、組織の仲間に対して愛着やコミットメントを持ってはどうかということなのだ。
われわれ(筆者は1971年生まれ)中年世代は、意識するしないにかかわらず、これまで既にいろいろ「頂いて」きたであろうから、組織や周囲のためにも、そして「自分のため」にも、そろそろ
「差し上げる」
ことに喜びを感じるようにならなければならないのではないだろうか。