「頂き女子」ではなく、真逆の「差上げ女子」を目指すべき理由 もちろん男子も同様だ!

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SNSを使って男性3人から計1億5000万円をだまし取ったとして女が逮捕された「頂き女子りりちゃん」騒動から、「頂く」ことだけの害悪を考える。

聖人君子でもない人がなぜ「差し上げる」のか

健全な会社員のイメージ(画像:写真AC)
健全な会社員のイメージ(画像:写真AC)

 このような「公共財」が強い組織は、社員個々人の力の総和以上に効力を発揮して、好業績を上げることができる。それで、経営者たちは、自社の公共財の強化を図ろうとしている。

 上述のようにこれらは多くの「差し上げ」社員がいることによって実現されている。このことがわかっているからこそ、「頂くだけ」の人には嫌悪感を持ち、「差し上げる」ことをいとわない人には好感を持つような文化が人の世にはあるのかもしれない。

 しかし、自分の役割がいで直接的な報酬のない「差し上げる」という行為(組織論の世界では「組織市民行動」と呼ばれる)は、聖人君子(知識や徳の優れた、高潔で理想的な人物)などいない現世において、どのようにしてなされるのであろうか。

中年期の発達課題「ジェネレイティビティ」

エリク・H・エリクソン『アイデンティティ: 青年と危機』(画像:新曜社)
エリク・H・エリクソン『アイデンティティ: 青年と危機』(画像:新曜社)

 ひとつの示唆的な考えとして、「アイデンティティー」の概念で有名な心理学者のエリク・H・エリクソンが唱えた概念

「ジェネレイティビティ」

というものがある。これは「世代性(生殖性とも)」、つまり

「次世代の価値を生み出す行為に積極的に関わっていく」

ことを意味する言葉で、generation(世代)やgenerate(生む)から作られた造語である。

 エリクソンによればこれはおおよそ35歳以上の中年期の大人が乗り越えていくべき課題とされている。なぜかといえば、中年期を越えると人は

「自分の人生に終わりがある」

ことを徐々に実感するからだ。これを越えるために、中年期以降の人はジェネレイティビティを獲得しなければならない。

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