高速道路「SA・PA」の形はなぜ美しいのか 没後70年、道路公団初代総裁が貫いた美学とは

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日本道路公団初代総裁の岸道三は、なぜ高速道路の美観を重視していたのか。その背景を探る。

没後も引き継がれた岸の思想

名神高速道路(画像:写真AC)
名神高速道路(画像:写真AC)

 岸が高速道路で美観にこだわったのは、当時の社会背景が理由にあった。当時少しずつマイカー保有者は増えていたが、高速道路を利用して遠くまで自動車で出掛けるという需要は少なかった。

 日本道路公団は高速道路の利用者として、主に物流を担うトラックドライバーを想定していた。物流の確保は経済成長のために欠かせないが、それだけの理由で莫大(ばくだい)な税金を投じて高速道路を建設することに賛同を得られない。また、自分たちの頭の上に高速道路が建設され、それを毎日眺めることになれば高速道路への反発も芽生える。こうした感情に配慮し、岸は美観を重視した。

 岸は1962(昭和37)年に現職のまま死去。2022年は没後60年にあたる。岸は名神高速の部分開通こそ見届けたものの、全線開通を見ることはかなわなかった。

 岸の思想は没後にも受け継がれていく。名神高速は京都や大阪などを通る。この一帯は、古刹(こさつ)や埋蔵文化財が出土する場所も多い。しかし建設において、それらが配慮されているとは言い難かった。

 そのため、学者や文化人から「高速道路の建設は破壊行為である」と批判された。こうした教訓を踏まえ、その後に建設された東名高速は神社仏閣や歴史遺産のほか、埋蔵文化財が出土するような地域、さらには学校や病院にも配慮をするようになる。そのため、工期が遅れることやルート変更することもあった。

 そして日本は経済大国へとひた走り、高速道路網は拡大した。しかし、バブル崩壊後に道路関係者による贈収賄や談合といった不正事件が次々と発覚。こうしたなかで小泉内閣が誕生し、地方の高速道路が無駄な公共事業と批判された。高速道路によって物流が促進されている側面もあるが、それ以上に財政健全化を目指す方針が強まったことから、日本道路公団は民営化された。

観光地化する現在のSA・PA

愛知県刈谷市にある刈谷ハイウェイオアシスの観覧車。エンターテインメント性に富んだSAの一例(画像:写真AC)
愛知県刈谷市にある刈谷ハイウェイオアシスの観覧車。エンターテインメント性に富んだSAの一例(画像:写真AC)

 民営化後、高速道路のSA・PAなどでは集客のために観覧車などの設置が相次ぎ、エンターテインメント性が取り入れられていく。さらに「まずい」「高い」と不評だったレストランや商店などの商業施設にも力が入れられていった。

 こうした流れを受け、一時期はSA・PAに全国チェーンのレストランやコンビニなどの進出が目覚ましかった。それが金太郎飴化しているとの批判も招いたが、近年は郷土色を取り入れた独自の売店やレストランも目立つ。

 それがSA・PAの観光地化につながり、新たなまちづくり資産としても注目を浴びている。

 高速道路は常に変化を求められてきた。それは時代の波とも言えるだろう。昨今、高齢化や若者の自動車離れといった現象もあり、自動車のドライバー増加数は頭打ちになっている。そうした逆風とも言えるなか、高速道路は新たな変化を求められている。