日本最大の商業地「日本橋」 江戸の物流拠点としても大きな役割を果たしていた!【連載】江戸モビリティーズのまなざし(20)
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- 江戸モビリティーズのまなざし, モビリティ史
江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
日本橋からの物資輸送システム
水運といっても、日本橋まで大きな船が入港したわけでは、もちろんない。
諸国から江戸に荷物を積んできた大型の廻船(荷物を積んで各地を回る船)は、品川沖や隅田川河口近くの永代橋・佃島まで乗り入れ、そこで艀(はしけ。輸送船)に積み替え、日本橋近辺の蔵・市場へと運ばれた。廻船に積まれていた荷は、
・米
・酒
・薪
・木材
・醤油
・木綿
・塩
など、人間の生活に必要なあらゆる物資だった。
日本橋で荷受けされた物資は、さらに小舟に積み替え、狭い水路を通じて江戸市中に運ばれた。江戸は運河が縦横無尽に掘られた水運都市だった。陸地を掘って水路につないだ場所を舟入堀(ふないりぼり)といい、小舟の発着場だった。
堀を掘り進めて止まった地点を堀留(ほりどめ)といい、こちらは蔵の搬出入り口だった。現在も日本橋に残る堀留町は、この名残をとどめた町名である。人々に暮らしを支える上で、重要な場所だった。