イオンシネマ車いす騒動、ネットでの非難は論外! 「同情」も一種の差別か? “合理的配慮”の本質を考える
同情と友愛の偽善
障害者差別解消法は、2013(平成25)年に障害者権利条約・障害者基本法に実効性を持たせるために成立した法律である。この法律では合理的配慮とならんで
「不当な差別的取扱の禁止」
が定められた。これは、障害を理由としてサービスの提供を拒否したり場所や時間帯を制限、障害者以外にはない条件をつけることを権利侵害として禁止するものである。その上で、施設や事業者が実情の中で解決策を考えるために、合理的配慮すなわち当事者との対話をしなくてはならないとしたわけである。
この法律が重要なのは、障害者に対する対応や施設の整備は健常者側の思いやり・友愛・同情によるものではなく
「当然の権利」
であり、当事者の意見の反映が必須であることを明確に示したことだ。いわば“同情融和”的な障害者対策との完全な決別である。
一見すると、強者や健常者が社会的弱者である障害者に同情し、思いやりの表れとして施設や特別待遇を提供するのは合理的に見える。しかし実際は、強者が弱者に同情しているに過ぎない。いわば
「一種の差別」
である。社会福祉史研究者の樋原裕二氏の論文に、こんな記述がある。
「むしろ障害者を守ろうとする論理と殺そうとする論理とは(現代の我々の感覚からみるとなぜ同居し得るのか不思議だが)表裏一体のもの、同じ考え方に根差すものだったと考えたほうが実態に近いのではないだろうか。差別と友愛は、実は同じものの異なる側面に過ぎないという見方である。そうだとすれば、差別を否定するには、一見友愛に思えるかのようなものをも克服する必要がある」(「近世障害者史研究の成果と課題 : 生瀬克己の研究を事例に」『障害史研究』3号)
結局のところ、思いやりとは強者による自己満足に過ぎないし、それに反発すれば当事者は悪質な障害者とみなされる。そこには、当事者の声に耳を傾け、反映させようという意識がない。今風にいえば、非常に“上から目線”なのである。