民営化の公約「地方優先」は結局、守られたのか?【短期連載】国鉄解体 自民党「1986年意見広告」を問う(1)

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JRが社会から信頼されるためには、ステークホルダーとの対話が重要であることは間違いない。また、ステークホルダーとの対話を尊重することは、「地方優先」の真髄である。

組織改革の舞台裏

高徳線特急うずしお号は最高時速130kmで高松-徳島間を駆け抜ける(画像:大塚良治)
高徳線特急うずしお号は最高時速130kmで高松-徳島間を駆け抜ける(画像:大塚良治)

 東京駅丸の内北口を出ると、横断歩道を挟んで立つ高層ビルが視界に飛び込んでくる。三菱地所グループなどが開発した「丸の内オアゾ」(東京都千代田区)だ。大手書店、カフェ、オフィスなどの複合ビルである。ビルが建設される前、この場所には旧日本国有鉄道(国鉄)ビルが建っていた。国鉄が民営化された後、1997(平成9)年までJR東日本が本社ビルとして使用していた。

 1987(昭和62)年4月1日のJRグループ発足後、JR各社は独立経営を開始した。国鉄時代、本社は丸の内にしかなかったが、JR発足後はJR各社の中心地域に置かれるようになった。国鉄はモータリゼーションの進展による旅客・貨物輸送量の減少と労使問題に直面していた。加えて、毎年1兆円を超える赤字を垂れ流し、債務の膨張に歯止めがかからなくなっていた。

 1982年7月30日、国の財政再建を議論する第2次臨時行政調査会は第3次答申において、国鉄・日本電信電話公社・日本専売公社の民営化を政府に答申した。政府は危機的状況に陥った国鉄を分割民営化することで再生を目指したが、JR西日本初代社長の井手正敬氏は「郵政民営化に関する有識者会議 第3回会合」で、

「国鉄改革は、(中略)今日の国の構造改革の目的に見られる規制緩和、地方主権があったということも大きな要因であった」

と説明した(同会合議事要旨)。

 国鉄分割民営化の前年の1986年5月22日、自民党は全国紙に意見広告を出した。それは、国鉄分割民営化後の懸案事項に関して不利益がないことを「公約」したものであった。意見広告に明記された公約は次の六つである。

●民営分割 ご期待ください。
・全国画一からローカル優先のサービスに徹します。
・明るく、親切な窓口に変身します。
・楽しい旅行をつぎつぎと企画します。

●民営分割 ご安心ください。
・会社間をまたがっても乗りかえもなく、不便になりません。運賃も高くなりません。
・ブルートレインなど長距離列車もなくなりません。
・ローカル線(特定地方交通線以外)もなくなりません。

本稿ではまず、このなかの「全国画一からローカル優先のサービスに徹します。」について再考する。果たしてこの公約は守られているのだろうか。

 発足当初、JR各社は国鉄の資産を継承・活用していたが、次第に各社独自のスタイルを打ち出していった。主な「ローカル優先のサービス」には、

「各社独自の車両の投入」
「直通運転・ダイヤ改善・新駅設置」

がある。このふたつ項目に焦点を当てて点検してみたい。

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