「死の商人」とは何か? 兵器は自衛か商売か、ガザ侵攻で注目される言葉の歴史を振り返る
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伊藤忠商事は2月5日、子会社を通じてエルビット・システムズと締結していた協力覚書を2月末までに解消すると発表した。関連して話題になったのが「死の商人」という言葉だ。
兵器ビジネスの帝王たち
海外輸出で販路を開拓したのが、最も「死の商人」としてイメージに近い専門の事業家たちである。
最初に名前をとどろかせたのは20世紀初頭に活躍したトルコ(当時はオスマン帝国)生まれのギリシャ人ザハロフである。ヴィッカースなど数々のメーカーの代理人として活動した彼は利益だけを追求していた。対立していたギリシャとオスマン帝国の双方に兵器を売る事業などで、「死の商人」の代表格となった。
第二次世界大戦後、
・戦争当事国
・兵器の輸入を公然としたがらない独裁政権
・さまざまな武装集団
に幅広く兵器を供給する業者が登場した。イラン・イラク戦争では、十数か国が双方に関与し、双方に兵器を売りさばいた。
「死の商人」として、名前をとどろかせた者も少なくない。ドイツ生まれのゲルハルト・メルティンという人物は、ドイツ連邦空軍から手に入れた戦闘機F86をパキスタン売却にし、世界から批判されていたチリのピノチェト政権への兵器輸出にも関与した。映画『ロード・オブ・ウォー』の主人公のモデルといわれるロシア生まれのビクトル・ボウトは、ソ連崩壊後の混乱に紛れて、旧ソ連製兵器の販路を第三世界に張り巡らせた。
これらは、兵器を製造したり売りさばく、典型的な「死の商人」の姿である。