「バイク = 暴走」というイメージが今も根強いワケ 犯人はマスコミだった? 若者とバイクの歴史を振り返る

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過去50年にわたる日本のバイクと若者の歴史を検証し、現代のバイクや新しい乗り物など、二輪車の未来について考える。

リスクへの理解と教育が重要なカギ

暴走族のグループ数の推移。横軸は年。法務省『犯罪白書』より(画像:是永論)
暴走族のグループ数の推移。横軸は年。法務省『犯罪白書』より(画像:是永論)

 暴走行為自体は許されることではないが、「バイク = 暴走」のイメージが、メディアや周囲の大人たちによって作られた部分が大きいとすれば、バイクに悪いところがもともとあったとはいえない。一方で、そのイメージが若者をバイクから遠ざけてきたことで、バイクの魅力やリスクときちんと向き合う機会を奪ってきたのかもしれない。

 もとに戻って考えてみても、かつてバイクが若者にとって魅力的だったのは、暴走という魅力だけでなく、人間関係という新しい世界を切り開く可能性があったからではないだろうか。

 ここで視点を現代に移し、新しい乗り物も含めたこれからの二輪車の可能性について考えてみたい。

 まず、現在の二輪車がかつてのバイクのような関心を集めることはなさそうだ。それは二輪車そのものがどうというよりも、二輪車が切り開く世界の新しさや楽しさを感じ取りにくいからである。若い男性では、外出時間そのものが減少している。特に20代男性では、2000年から2015年にかけて、睡眠時間を除いた在宅時間が平日で30分以上、土曜日で90分近く増加しており(NHK国民生活時間調査)、ゲームやインターネットの影響がうかがえる。

 電動キックボードなどの例を見ても、普及を優先して規制を緩和する傾向にあるようだが、かつてのバイクや携帯電話で、若者がそのリスクを十分に認識しながら使用する機会を与えなかったことを考えれば、若者によるバイク事故だけが増加するなど、かつての過ちが繰り返される 危険性もある。やみくもに新しいものを敬遠したり、逆に手放しで奨励したりするのではなく、教育現場や講習会などで、現実のリスクを理解する機会を設けることが重要だ。

 リスクへの対応という点では、新しい乗り物も含めた走行ルールやレーンの再整備も重要だろう。長年自動車を運転してきた筆者(是永論、社会学者)としては、右から左からクルマの間を追い越していく二輪車の無秩序な動きにひやりとさせられることが多い。

 また、電動自転車は重量が大きいため、衝突時のダメージも大きい。自転車であっても交通違反は厳しく取り締まるべきだが、一方通行にするなどして既存の自動車道路の道幅を確保し、走行速度に応じて走行レーンを明確に分離することが望まれる。

 現代社会では、性別や民族などさまざまな人の立場を明確にしてお互いを尊重することが望ましいように、乗り物の立場も明確にしてお互いを尊重することが重要である。そのような状況を作ることで、バイク自体に新たな魅力を見いだすきっかけになるかもしれない。

●文献
佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー』新曜社、1984年
小田光雄『<郊外>の誕生と死』青弓社、1997年

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