「負の遺産」を活用した観光まちづくりで、地域は幸せになれるのか?【リレー連載】平和産業としての令和観光論(3)

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コロナ禍や世界各地の戦争を乗り越え、観光が平和と国際協力に与える影響を探るリレー連載。異文化理解や対話の促進を通じて、観光は「平和産業」としてどのような役割を果たすべきかを検証する。

反対運動の終焉

渡良瀬遊水地に浮かぶヨット。奥に「道の駅かぞわたらせ」が見える(画像:大塚良治)
渡良瀬遊水地に浮かぶヨット。奥に「道の駅かぞわたらせ」が見える(画像:大塚良治)

 1901(明治34)年10月23日、田中正造は議員を辞職。同年12月10日、帝国議会開院式から帰還する明治天皇に直訴を行ったが、警官に捕らえられてしまう。

 1903年に、洪水と鉱毒被害の対策として政府が決定した谷中村地域の遊水地化に反対するため、翌年谷中村に移住し、村民とともに反対運動に尽力したが(『栃木市渡良瀬遊水地ウェブ』)、正造たちの反対運動もむなしく、谷中村の強制廃村と村民の退去が進められ、1911年から渡良瀬遊水地事業が開始された。堤防の造成と渡良瀬川の流路変更などが併せて実施され、1922(大正11)年に完成した。

 渡良瀬遊水地の流路変更にともない誕生した埼玉県・群馬県・栃木県の「三県境」は、観光名所として人気を集めている。また、付近の「道の駅 かぞわたらせ」(埼玉県加須市)の展望台からはハート型をした渡良瀬遊水地が一望できる。加須市は鯉(恋)のぼりの有数の産地であることにもちなみ、関東で初めて「恋人の聖地」に登録された。

 2012(平成24)年7月には、渡良瀬遊水地は「ラムサール条約登録湿地」となった。豊かな自然環境は世界からも評価されたことになる。遊水地の中心をなす谷中湖ではカヌーやヨット、ボートが浮かび、湖の周囲と中心を通るサイクリングロードではサイクリングやランニング、散策を楽しむ人たちが行き交う。

 また、谷中湖は、東京から遠く離れたダムとは異なる巨大な平地の集水施設として、首都圏が水不足に陥った時に水道水を供給する役割を担っている。渡良瀬遊水地がもたらす「自然の恵み」は、首都圏の人々の経済・社会活動を支えているのである。先人たちの尊い犠牲に思いをはせながら、渡良瀬遊水地周辺でゆったりした時間を過ごしたいものである。

 福島や渡良瀬遊水地の事例を通して分かることは、「負の遺産観光」から「ホープツーリズム」への発想の転換により、尊い犠牲を教訓にしつつ、前向きな気持ちになることの大切さであろう。前向きな観光行動により、地域は活性化され、幸せになるのである。

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