多摩ニュータウン「再生本格化」 その背景にあった、車道・歩道が交差しない「歩車分離」の誤算

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東京西部の多摩ニュータウンの再生が本格化している。その背景には一体何があるのか。

再生計画のカギ

多摩ニュータウン(画像:写真AC)
多摩ニュータウン(画像:写真AC)

 こうした街づくり全体のコンセプトのなかで欠かせないのが、新住民を呼び込むことである。この点、多摩ニュータウンにおける再開発の成功例として、ブリリア多摩ニュータウン(多摩市)がある。

 この地域はもともと日本住宅公団が建設した「諏訪2丁目住宅」で、1971(昭和46)年に多摩ニュータウンで最も早く入居が始まった。早くから問題が顕在化し、1988年には建て替えの検討が始まった。

 しかし、当時の多摩ニュータウンは開発規制が厳しく、増築や建て替えは認められていなかった。2000年代に入り、法律が改正され建て替えが認められるようになって初めて、住民たちは東京建物(中央区)が提案した計画を選んだ。

 これは、住戸数をほぼ2倍に増やし、建て替え費用を新たな販売分で賄うというものだった。住民の合意形成プロセスは見事に成功し、2010(平成22)年に決定した建て替え案は92%の賛成という高い支持を得て可決された。

 このケースは、再生計画にはまず住民との話し合いが最も重要であることを示している。もちろん、賛成92%という数字が示すように、全員一致で建て替えに賛成したわけではない。とはいえ、今後の再生策の方向性を示すものとなった。

 昨今、地域再生プロジェクトというと、最先端のテクノロジーに注目が集まりがちだ。しかし、MaaSやスマートシティ(デジタル技術によって都市のインフラ、施設、運営業務を最適化することで、企業や消費者の利便性と快適性の向上を目指す都市)は利便性を高めるためのひとつの手段にすぎない。

 いくら「利便性が向上する」と説明されても、本当に便利になるかどうかは人それぞれである。ブリリア多摩ニュータウンの場合、住みやすさを向上させた建て替え計画に納得できなかった住民を最後まで説得したことが記録されている。

 このような問題は、ようやく始まった多摩ニュータウンの再生計画でも、さらに大規模に発生する可能性が高い。住民の最大幸福とは何かを十分に検討することが望まれる。

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