東京駅の丸の内駅前広場に、昭和中期まで「ガソリンスタンド」があった!

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東京駅丸の内駅前広場は、今では整然とした美しい広場だが、実は意外な過去があった。かつて、この広場の一番目立つ場所にガソリンスタンドがあったのだ。

奇妙な占用許可の行方

鍛冶橋の位置(画像:OpenStreetMap)
鍛冶橋の位置(画像:OpenStreetMap)

 当時、東京駅周辺の土地使用許可をめぐる別の問題があった。場所は鍛冶橋周辺だった。現在の東京駅八重洲口の南側、馬場先通りの首都高速丸の内インターチェンジ付近である。

 戦後間もなくまでは、このあたりを外濠川が南北に流れ、東西を結ぶ鍛冶橋が架かっていた。外濠川は1950(昭和25)年に戦災がれきで埋め立てられた。その際に道路整備が行われ、馬場先通りが現在の幅に拡幅された。

 しかし、なぜか鍛冶橋は撤去されなかった。その結果、鍛冶橋のところだけ道幅が狭いままでボトルネックとなった。1954年11月19日付の『都政新報』の記事は、このような奇妙な状況の理由を伝えている。

 記事によれば、埋め立てられた外濠は国鉄用地と東京都の所有地となった。しかし、埋め立て直後の1950年3月、東京都は元の橋の下に限り、都内の個人に10年間の占用許可を与えた。この許可は、道路の拡張や橋の取り壊しができないことを意味していた。

 占用許可の条件には映画館やガレージに使用することが明記されていたが、実際には何も使用されていなかった。『都政新報』の記事は、橋の占有許可を得た人物を取材している。

「占有許可名義人青木氏は王子駅前のパチンコ屋二階に実在してるが「私はよく判らぬ」と語り、実際は鈴木仙八の仕事といわれている」

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