なぜ日本はタクシーに執着するのか? ジャーナリストの私が京都で感じたライドシェアの可能性、忌避論はもはや病理である
なぜ日本はライドシェアの先進事例を拒否するのか。もはや「できない理由を探し続ける」症候群なのだろうか。
タクシーへの不思議なこだわり

よく考えていただきたい。台数を減らすのは
「タクシー会社の都合」
であり、そのぶん利用者は不便になる。外国人がドライバーをすること自体に反対はしないが、日本の公道を走る以上は、
・利用者との会話
・道路標識の判別
がストレスなくできることが条件になる。
上限年齢引き上げに至っては、不安を抱く人もいるだろう。
「なぜそこまでしてタクシーにこだわるのか」
不思議でさえある。というのも筆者(森口将之、モビリティジャーナリスト)は以前、国内でライドシェアに近いモビリティサービスを体験しているからだ。
実は日本には、「交通空白地自家用有償旅客運送」という制度があり、タクシーさえ展開できないような地域では、一般ドライバーがマイカーを使い、お金をとって人を運ぶことが許されている。2023年11月時点で
「670団体」
が実施している。知られていないだけでメジャーな制度なのだ。