「武蔵小杉」「武蔵浦和」「武蔵小金井」 なぜ“武蔵”のつく駅名は21個もあるのか?

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関東地方には「武蔵」の名を冠した駅が合計21もある。東京が最も多く11駅、次いで埼玉と神奈川が5駅ずつだ。なぜこんなに多いのか。

駅名変遷と実情

南小樽駅(画像:写真AC)
南小樽駅(画像:写真AC)

 南小樽駅は、1880(明治13)年に官営幌内鉄道の開運町(かいうんちょう)駅として開業し、1881年に住吉駅、1900年に小樽駅、1920(大正9)年に南小樽駅と改称された。

 この改称は実情によるものである。最初の駅が開運町に設置されたため、その地名が採用された。その後、駅の位置が移動し、駅名も変更された。さらに、小樽駅が存在しなかったため、小樽駅と改称したが、その後、現在の小樽駅が開業したため(1903年)、南小樽駅と改称した。

 鉄道開発が盛んだった時代には、路線の延伸や駅の移転が頻繁に行われた。それにともない、駅名もしばしば変更された。例えば、1892(明治25)年に開業した山陽鉄道(現・山陽本線)の三原駅(広島県三原市)は、1894年に三原市内に新駅が建設された際に、糸崎駅となり、新駅が新たに三原駅となった。

 JR横浜線などが乗り入れている桜木町駅は、日本で最初の鉄道が開通して以来、長らく横浜駅を名乗っていたが、1915(大正4)年に新たな横浜駅(現・地下鉄高島町駅の近くにあった)ができたのを機に、現在の駅名に改称された。

 この時代、鉄道網が拡大するにつれ、同じ駅名が多数存在するという問題が浮上した。全国には、漢字も読み方も同じ地名がたくさんある。そのため、同じ駅名も多かった。今尾氏は、間違いを防ぐために同一の駅名を改称する傾向は明治時代から見られ、大正時代に盛んになったと述べている。

 例えば、『朝日新聞』1910年7月13日付けの記事には、栃木県内の駅名改称をめぐるトラブルが紹介されている。

「栃木縣下の鉄道各驛中同名のものありて改称を要すべきは佐野、小山の両駅及び富山、野崎の二驛にして後者は変更に反対せず富山は大平に野崎は石上と改称せられん事を希望せるが小山及び佐野の変更に就いては既報の通り反対あり縣参事会員一同も亦従来の名称を保存せん事を希望し之に対し意見書を提出したり」

 また、『読売新聞』1914年11月13日付けには次のような記事が載っている。

「鉄道院線に於ける同時駅名は一ノ宮の五カ驛を始め八十六驛異字同音三十五驛あるを以て鉄道院にては之が整理をなすべく各驛に吏員を派し調査を為さしめ居たるが今回決定せる分より改称をするに決し既に長岡驛は東海道信越東北三線に存在し居たるも東北線長岡は「伊達」と東海道長岡は「近江長岡」と改称公布せるが今後引続き改称の筈なりと云ふ」

『汽車時間表 大正14年4月号』を収録した『時刻表復刻版 1925年4月号創刊号 JTB MOOK』(JTBパブリッシング)には切符を購入する際の注意事項として、次のような記述がある。

「数千に上る全国の停車場には同一驛名や類似の驛名も多いので近来は同一驛名を改称し又驛名に国名を冠らしたりして居りますがそれでも時々意外の間違を起して困ります」

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