観光公害の本質は「訪日客多すぎ」ではない! 過去事例に見る「真の損害」とは
日本で観光客の増加による悪影響が議論されるようになったのは、1950年代に入ってからである。住民の生活環境の悪化が問題視される現在とは異なり、歴史的景観や自然の破壊が大きな問題となった。
保護と開発のジレンマ

「観光公害」のなかには、自治体では対応しきれず、国が関与するケースもあった。1980(昭和55)年に制定された「明日香村特別措置法」である。
きっかけは、1972年3月に高松塚古墳で壁画が発見されたことだった。この歴史的発見は、観光地である明日香村に多くの観光客を呼び込んだ。発見直後の1972年3月28日付の読売新聞朝刊は、観光客による古墳周辺のミカン山の踏み荒らし問題を「飛鳥壁画、早くも「観光公害」」と報じた。
これに加えて、都市化によって歴史的景観が失われる危険性もあったため、政府は1980年に明日香村特別措置法を制定し、明日香村全域を歴史的風土保存の対象とした。これにより、明日香村の歴史的景観は保護されることになった。しかし、景観が守られた一方で、強い開発規制が住民の生活を苦しめていることも指摘されている。
このように、日本国内だけでも「観光公害」はさまざまな形で現れている。日本がこのまま観光立国を進めれば、オーバーツーリズムを克服しても、次のような問題が出てくるだろう。
「観光公害」の問題は、地域特性や観光客の行動によってさまざまな形で現れる。この問題に対抗するには、まず地域住民の声を反映した持続可能な開発の視点が不可欠である。
・歴史的景観、環境、住民の生活をどのように守っていくか
・観光客をどのように増やすのか
・観光以外の産業にどのように力を入れるのか
など、さまざまな選択肢がある。「観光公害」の克服は、地域の将来像を描くことから始まるのだ。