観光公害の本質は「訪日客多すぎ」ではない! 過去事例に見る「真の損害」とは
日本で観光客の増加による悪影響が議論されるようになったのは、1950年代に入ってからである。住民の生活環境の悪化が問題視される現在とは異なり、歴史的景観や自然の破壊が大きな問題となった。
自然への侵害
実際、1960年代には景勝地で自然を求める観光客を見込んで開発が進み、自然を破壊する本末転倒な事例が各地で起きており、これが「観光公害」として取り上げられている。
1973(昭和48)年8月17日付の『朝日新聞』に掲載された「観光公害」という記事のなかで、北海道で実際に起こった例が次のように紹介されている。
「千客万来は、観光立地の北海道にとっては、ありがたいことに違いないのだが、困るのは「観光公害」。(中略)大雪山系のお花畑の花々を盗むのは近年、本州方面からのハイカー、カニ族が多いという。さらに観光客を目当てに盗掘をする地元の人も少なくない。代わりに残されるのはジュース、ビールなどの空き缶であり、紙くずである」
この文章にみられるように、初期の「観光公害」で問題とされたのは観光客の殺到による
・歴史的景観の悪化
・自然破壊
だった。実際、実際、1960年代には、観光客誘致を目的とした、今では考えられないような破壊が次々と計画された。例えば、長野県の上高地で構想されたロープウエー敷設計画だ。
現在、穂高連峰の岐阜県側では、1970年に開業した名鉄グループの奥飛観光開発(岐阜県高山市)が運営する「新穂高ロープウェイ」が存在する。新穂高温泉と標高2156mの西穂高口を結ぶロープウエーで、登山者以外でも高山地域の魅力を楽しめる施設として知られている。
ロープウエーは当初、尾根を越えて上高地まで行く計画だった。この計画は長野県側の猛反対で頓挫したが、現在の混雑に起因する「観光公害」とはまったく別種の、取り返しのつかない問題だった。なお、上高地では騒動後、マイカーによる環境破壊が叫ばれ、1973年にマイカー規制が導入された。