観光公害の本質は「訪日客多すぎ」ではない! 過去事例に見る「真の損害」とは
「観光公害」の定義
円安を背景に訪日外国人の増加が続くなか、京都市をはじめとする観光地で「観光公害」が深刻化している。
昨今、「観光公害 = オーバーツーリズム」と考えられがちだ。オーバーツーリズムとは、“観光客が過度に集中すること”で、地域住民の生活や自然環境に悪影響を及ぼし、観光地の魅力が低下する状況を指す言葉だ。JTB総合研究所では「観光公害」を
「観光客や観光客を受け入れるための開発などが地域や住民にもたらす弊害を公害にたとえた表現のこと」
と定義している。つまり、さまざまな有害な影響の総称であり、オーバーツーリズムは「観光公害」の一部にすぎないのだ。
さて、日本で観光客の増加による悪影響が議論されるようになったのは、1950年代に入ってからである。住民の生活環境の悪化が問題視される現在とは異なり、歴史的景観や自然の破壊が大きな問題となった。
1956(昭和31)年、正倉院の評議員を務めていた哲学者の安倍能成(よししげ)は、同院の北側に新しい道路が開通し、観光バスやトラックが頻繁に行き交うようになったことを不満に思い、読売新聞に「国民の義務として守ろう」という文章を寄せた。
安倍は、増加する観光客よりも、むしろこのような開発を許した地元民に怒りをあらわにしている。
「この千年の文化都市に通じて、自然の美しさと悠久とによって彼等(注:観光客)に外で得られぬ何ものかを与えるほどの意気込みを奈良人には持ってもらいたい。(中略)この道路が史跡区域をおかして居る上に、足一歩この区域を出たところには俗悪極まる温泉宿を打ち建てた如きも、奈良の眉目に泥をぬったようなものである」(『読売新聞』1956年5月29日付朝刊)
この時代には、現在とは異なり、歴史的景観や自然が多少破壊されても、観光客の増加を受け入れる傾向があったことがわかる。