京都市の止まらぬ「観光公害」 財源なければ「寺社税」復活しかないのか? 地元紙も報道の辛らつ現実とは
京都市は「観光公害」によって深刻な交通渋滞に見舞われている。さて、抜本的な対策として、観光客への課税を財源に公共交通を改善することはできないだろうか。
古都税興起、寺社と京都市の争い

現在は宿泊税しか導入されていないが、京都市にはより大きな税収が期待できる課税方法がある。
「寺社拝観料に対する課税」
である。
京都市はこれまでにも何度か拝観料に課税してきた。戦後、市は新たな財源を求め、1956(昭和31)年に文化観光施設税(文観税、7年半の時限立法)を導入し、1964年に期限切れに。新たに文化保護特別税(文保税、5年の時限立法)を採用した。
これらの税収は市内の公共施設整備に貢献したとされるが、寺社からの反発は強かった。例えば、清水寺は寺院を無料公開することで納税を免れ、東福寺は拝観謝絶を行うことで激しく抵抗した。そのため、1964年に文保税が導入された際、当時の高山義三市長は、今後同様の税金を導入しないよう寺社と覚書を交わさざるを得なかった。
拝観料への課税が再び問題となったのは1982年のことである。当時、京都市の税収は落ち込んでおり、再び拝観料課税を行うことで財政再建を図ろうとしたのである。こうして創設されたのが古都保存協力税(古都税)である。
市内35の寺社に10年間課税し、拝観料に大人50円、子ども30円を上乗せするというものだった。寺社はこの条例に強く反発し、1983年、条例は無効だとして京都地裁に提訴した。
しかし翌年、京都地裁はこの訴えを退けたため、古都税への反発は激化し、1985年には多くの寺院が拝観を停止する騒動となり、この騒動は
「テンプル・ストライキ」
として海外メディアにも報道された。多くの有名寺院が停止したことで、京都の観光産業は冷え込むのではないかと心配された。結局、古都税は1988年に10年足らずで廃止された。しかし、その数年間に観光産業は大きな打撃を受け、約354億円の損失を被ったと推定されている。