ドライバーにカスハラしてどうする 「優れたサービス = 当然」という大きな勘違い、そもそも他者に“期待しすぎ”な現代人とは
主観的評価と実際の結果
「期待」は、相手の未来の行動に対する主観的評価である。
未来は不確定なので、例えば相手がこれまで客の期待に100%応えてきたなら、次も期待に応えてくれる可能性は高いのだが、次の1回だけはうまく行かないかもしれない。
また、主観的評価は常に実態とずれている。このずれが「期待以上」であればよいのだが、「期待以下」であれば、相手は裏切っていなくても、こちらは裏切られたと感じてしまう。
つまり、私たちが「裏切られた」と感じるとき、相手が実際に裏切ったケースのほかに、
・単に運が悪かったケース
・こちらが過度な期待をしていたケース
があるといえる。そして、相手が裏切ったケースは、実はそれほど多くないのかもしれない。
日本の高品質サービス
ユーザーの期待が大きくなってしまうのは、提供されるサービスのクオリティーが
「常に高いから」
でもある。そして日本で提供されているサービスはいずれもクオリティーが高い。宿泊施設は常に清潔で、設備が壊れていることはほとんどない。飲食店は安価においしい食事を提供し、スタッフは礼儀正しくテキパキと働いている。公共輸送機関はいつも遅延なくに運行されており、安全性も高い。
国による程度の違いはあるが、海外ではこういったクオリティーの高いサービスは当たり前ではない。シャワーからお湯が出ないホテルとか、無愛想な上に激マズなレストランとか、時間どおりには到着しない電車などに出くわすことは少なくない。
もちろん、日本と変わらないクオリティーのサービスが提供される場合もあるのだが、イマイチなこともよくあるので、みんな最初から期待はしていないように見える。
期待がそれほど大きくない国では、イマイチな状況に遭遇したとしても、いちいちクレームをいう人は少ない。それどころか、慢性的に遅れている電車が、たまに時間どおりに発車してしまうと、遅延を見越して駅に来た人が乗り遅れてしまうので、かえって苦情が出るという話も聞く。