ドラレコが普及しても、「当たり屋」犯罪がなくならない根本理由
走行中の自動車などに故意にぶつかり、賠償金や治療費をせしめる「当たり屋」。ドライブレコーダーが普及した現在でも、その犯行は後を絶たない。今回は、自動車の普及の陰で拡大したこの犯罪の歴史に迫る。
貧困層の突発的犯罪

走行中の自動車などに故意にぶつかり、賠償金や治療費をせしめる「当たり屋」。ドライブレコーダーが普及した現在でも、その犯行は後を絶たない。今回は、自動車の普及の陰で拡大したこの犯罪の歴史に迫る。
当たり屋は自動車が普及するとともにこの犯罪も発生したようだ。過去の報道を調べてみると、『朝日新聞』1917(大正6)年7月6日付朝刊に、東京の本所(現在の墨田区南部)周辺でこの犯罪が横行していると報じられている。
「態(わざ)と轢かれてブツかるのと子供を自動車の前に着き飛ばして手一本脚一本でも折ったら賠償金を取ろう見舞金にありつこうという手合が多いそうだ。随分思い切った金儲けの方法もあったものだと呆れざるを得ぬが一面から考えると実に悲惨な極みである」
この記事では、当たり屋を
「貧困層が犯すやむを得ない突発的犯罪」
と捉えており、同情的だ。
資料を調べたところ、1917年の日本の自動車保有台数は全国でわずか
「2672台」
である。むしろぶつかるための自動車に出会うのも至難の業だった。
それにしても、既に当たり屋が出現しているのは、自動車を運転しているのが限られた富裕層であり、確実に賠償金にありつけると見られていたからだろう。