バブル期の狂乱? 軽自動車の限界に挑んだ「ミニスポーツ」の圧倒的存在感とは【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(2)
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1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。
ノスタルジックな乗り味
筆者(矢吹明紀、フリーランスモータージャーナリスト)は、これら3台をじっくりと試乗した経験がある。そこで感じた印象は、いずれも1990年代の乗用車としてはかなり異質だったことを記憶している。具体的には、同時代の小型車等に対して、明確に
「ノスタルジックなドライブフィール」
だったということである。
それまで経験したほかのモデルに例えるなら、1960年代のスポーツカーであるホンダS600やトヨタ・スポーツ800。他には英国のライトウエートスポーツカーだったジネッタG15、ロータス・ヨーロッパの初期型に近い感覚があったのである。
・1tを大きく下回る700kg前後の車重
・適度なパワー
・シャープなハンドリング
・路面感覚を背中とお尻で感じるがごとくのダイレクトさが際立つ乗り心地
・タイトな車内空間
これらは1990年代のクルマはもちろんのこと1980年代でも、その前の1970年代でも既に少数派だった感覚だった。
1990年代に初めてビート、カプチーノ、AZ-1を体験した若者は果たしてどんな印象を抱いたのか。バブル時代の商品企画というと、何かと豪華さやよい意味でのムダをアピールしたものが多かったなか、これら3台のスポーツカーは余りにもワイルドかつストイックな存在だったのが強く印象に残った。
ちなみに車両価格は140~150万円と当時の軽自動車のなかでは群を抜いて高価であり、その点だけはまさしく“バブルの申し子”そのものだった。
ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノ、マツダ・オートザムAZ-1(スズキCARA)は、バブル崩壊とともにその価格の高さがネックとなって販売台数は激減。限定モデルを投入するなどの販売戦略上のテコ入れも実施されたが、いずれも早い時期に生産中止を余儀なくされた。