バブル期の狂乱? 軽自動車の限界に挑んだ「ミニスポーツ」の圧倒的存在感とは【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(2)

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1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。

日本のミニスポーツカーレジェンド

カプチーノ(画像:スズキ)
カプチーノ(画像:スズキ)

 しかし話はこれだけでは終わらなかった。1991(平成3)年11月には、2年前の時点でショーモデルとして既に発表済みだったスズキの軽スポーツであるカプチーノが満を持して発売された。

 ビートに対してカプチーノはターボエンジンを縦置きに搭載したフロントエンジン/リアドライブ。最高出力はこちらも自主規制一杯の64ps。ルックスとディテールはまさしく

「伝統あるスポーツカー」

のそれであり、こちらも大きな注目を集めることとなる。

 バブル期に訪れたこれらのマニアック極まりないミニサイズのスポーツカーは、世界的にも驚異の目とともに自動車メディア等で大きく取り上げられることとなった。そしてカプチーノは限定的ながら少数の輸出も実施された。

 そして1992年10月、ミニマムスポーツの決定版というべきマツダ・オートザムAZ-1が発売される。スズキから供給されたカプチーノと同じターボエンジンをミドシップに搭載したクーペ。メカニズム的な特徴は、何といってもドア全体が上方に跳ね上がるガルウイングドアだったことである。

 ガルウイングドアは、1960年代から1970年代に掛けて、レースカーを中心に採用されていた

「スペシャル中のスペシャル」

というべきメカニズムだった。

 類似のメカニズムを備えた国産車としては、1990年に登場していたトヨタ・セラがあったが、セラの場合は前方に跳ね上げるスタイルだったのに対して、AZ-1は完全なガルウイングドアという大きな違いがあった。

 AZ-1は1993年からはスズキに相手先ブランドによる生産(OEM)供給され、バッジを換えた上で「CARA(キャラ)」という名称でも発売される。

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