東北新幹線「薬品漏れ」だけじゃない! いくつもの危険物が“車内持ち込み可”になっている根本理由
過去の持ち込み事故
これらの事故について、実例をいくつか紹介しよう。
1932(昭和7)年に新潟県の上越本線車内で、乗客が持ち込んだ危険物による車内火災が発生した。この火災は、乗客の男性が揮発油を入れた一升瓶を網棚から取ろうとした際、ビンが割れ、揮発油が散乱。それが床に転がっていたたばこの吸い殻に引火し、火災となったものだ。
1947年の上野駅での事故は、当事者のモラルのなさに驚かされる。この事故は青森行き夜行列車内で、乗客が持参していた猟銃用の火薬が床にこぼれ、たばこの火によって引火したというもの。その結果、約200発ぶんの火薬が爆発し、多数の乗客が重軽傷を負った。
しかも、事件を報じた『読売新聞』1947年12月12日付朝刊には
「火薬を持っていた黒背広服の男はドサクサに紛れて姿をくらまし」
「同列車は約40分遅延して出発した」
と記されている。負傷者を出しながらも当事者が逃亡したというのだから驚きだ。加えて、これだけの大事故でありながら、短時間で列車が運行を再開したことにも目を見張る。
過去の新聞報道を調査した限り、鉄道においては、危険物持ち込みが原因の事故は頻発しているものの、
「死者が出ている例」
は見当たらなかった。一方、バスにおいては、乗客が持ち込んだ危険物が原因となる悲惨な事故も発生している。
とりわけ大きな被害を出したのは1950年4月、神奈川県横須賀市で発生した事故だ。これは、走行中の京浜急行バス車内で、男がヤミで売る目的で隠し持っていたガソリンが、乗客のたばこの火で引火し爆発、逃げ遅れた17人が焼死したというものだ。
報道によれば、男が南京袋に隠して持ち込まれたガソリンの量は5ガロン(1斗缶ひとつぶん)。車内は70人の乗客で混雑していた。1斗缶ひとつぶんのガソリンを車内に持ち込む、乗客が車内でたばこに火を付けるという行為の両方が、現代では考えられない。
さすがにこれは当時でも許されない行為だったようで、たばこを吸っていた男は、ガソリンを持ち込んだ男とともに「留置された」と新聞には記されている(『朝日新聞』1950年4月15日付朝刊)。