絶海の孤島「青ヶ島」への交通インフラはどうやって完成したのか? 特殊地形との戦いで見えた公共事業の“原点”とは

キーワード :
,
日本に数多くある離島のなかで、上陸が最も困難なのは伊豆諸島の最南端に位置する青ヶ島だ。飛行機が発着する空港もなく、外部との連絡手段は船と八丈島発着のヘリコプターのみである。

上陸が最も困難な離島

青ヶ島の様子(画像:海上保安庁)
青ヶ島の様子(画像:海上保安庁)

 日本に数多くある離島のなかで、上陸が最も困難なのは伊豆諸島の最南端に位置する青ヶ島だ。飛行機が発着する空港もなく、外部との連絡手段は船と八丈島発着のヘリコプターのみである。

 とはいえ、昔に比べれば島と外部を結ぶ交通網は格段に整備され、今では多くの観光客が訪れるようになった。果たして、青ヶ島の交通網はどのように整備されたのか。

 風変わりな旅行者しか訪れない場所だった青ヶ島が現在、観光地として注目を集めている。コロナ以前2019年の東京都産業労働局の統計によると、青ヶ島への観光客数は前年比121.5%増の

「1379人」

である。東京都が公表している統計によれば、2007(平成19)年の観光客数はわずか485人だったことから、大きく前進していることがわかる。

 また、東京都は島を最も魅力的な観光地のひとつと位置づけ、2023年2月には外国人観光客向けのPRビデオを制作・公開した。

人間を阻む独特の地形

青ヶ島(画像:海上保安庁)
青ヶ島(画像:海上保安庁)

 青ヶ島は前述のとおり、ヘリコプターか船でしか上陸できない。一方、かつて「鳥も通らない」流刑地だった八丈島には飛行場が建設され、羽田空港から直接ジェット機が飛んでいる。それと比べれば、交通アクセスはよくない。

 これらの交通ルートにはそれぞれ問題がある。ヘリコプターのフライトは速いが、定員が9人で、予約が非常に難しい。予約は1か月先まで可能だが、この記事を書いている時点で確認したところ、すでに全席埋まっていた。航路は週に4~5日就航しているが、海が荒れているときは接岸できないため、就航率は60~70%。欠航しない日でも、「接岸できない場合がある」として条件付きで運行することは多い。

 しかし、この交通手段も昔に比べればかなり進化しているのだ。明治以降、日本では近代化が進み、さまざまな交通機関が発達した。しかし、青ヶ島はそうした歴史とはまったく無縁だった。

 青ヶ島は崖がそのまま海に落ち込む独特の地形で、船が接岸できる土地は限られている。江戸時代を通じて、島民は北側の神子ノ浦と呼ばれる砂浜(実際には砂利でわずかに平らになっているだけ)に直接船を接岸させていた。

 それに代わる港が整備されたのは昭和になってからで、1932(昭和7)年に日暮弥太郎が現在の三宝港の原型を作った。海岸の大岩を火薬で爆破し、がれきで船着き場を作ったのである。

 この工事によって、青ヶ島に初めて荒波からわずかではあるが、小型船が泊まれる港ができた。そして、沖合に停泊した船からハシケ(船と陸地の間で貨物や乗客を運ぶ小型船)を使って人や荷物を運んでいた。ハシケは当初は手こぎだったが、1964年にようやくタグボートに取って代わられた。

全てのコメントを見る